忘れてしまっても、覚えていたいこと。その3

まだ書くの、って言われそうだけどまだ書くよ。
これで一応最後の予定だよ。
ということで、引き続き、私の頭の中の消しゴムの話。

http://www.keshigomu.info/

ここのお芝居がとかこの演出がとか、そういう細かい話は前のふたつでしたので、ふわふわととりとめもなくツイートしてたことをまとめます。
時系列は特にない。笑 段落ごとのつながりもほぼない。笑

白を基調としたステージの中で印象的だった影があって。
桜並木を眺めて無言で過ごした件のとこ。
背景に映る2人の影が寄り添っていて、それがとても美しかったんだ。
実体ではないもので見せてくる部分って、すごく大切な物だと思うんですよね。演出の美しさ、とかそういうことではなくて、なんて言うかもっと本質的な、感覚に訴えてくる部分。
そういうものが心のやわらかい部分に触れる、んだと思うし、いつまでも忘れられないよな、って思う。

浩介の仕種に関してはどうしても言いたいのが、指環をはめる前に手汗を拭うような仕種をしたところが好きだな、ってこと。(指環ゆるそうだったな…)
浩介の緊張と、薫への愛おしさが詰まってるいい仕種だった。あれ演出かな、それともアドリブかな…。
あとね、間取りの件でかっこつける姿が最高にださいのが浩介だなぁって思ったんですよねぇ。
馴れてなくて、でも薫を喜ばせたくて、一緒にこの先の未来を描きたくて、だけどそれを素直に言葉にするのは照れくさくて、みたいなあの感じ。スマートじゃないところが最高に愛おしかったです。

表情の話をするなら母親の件のところがいちばん、書き残しておかなきゃいけない部分。
薫が浩介に自分の日記を読ませるところ、読み始めに薫を振り返った威嚇のような表情も良かったし、読み進めるうちに声と同様に表情からも鎧が剥がれていくようだった。
水分が多くなっていく声が、震えるんじゃなくて喉の奥に溜まるように濁るのが胸に重くて、憎むことで自分を守ろうとしていた浩介がどうして良いかわからなくなって、淋しかった、愛されたかったって、その感情で埋もれていく姿がほんとに、愛おしくてたまらなかったんだよ。
(涙声で、叫び声で、これだけ言葉の輪郭を失わないってほんとにお芝居する人ってすごいな)

始まりと終わりで浩介の表情がぜんぜん違って、この人は薫を守ろうとして逆にずっと守られていたんだなぁ、ってやっぱりこの感想は今回も書いておきます。だいじなこと。

どこの部分だったか覚えてないけれど、光が当たって浮かび上がる涙の筋とそこに浮かべた微笑みがきれいだ、って思ったことは覚えてる。
生のお芝居に触れたいって気持ちは強いけれど、しっかりとそういう部分を捉えられるところが配信の良いところだよなぁ。

これは前の記事にも書いたかもしれないんだけど、付箋の話。
私はあの付箋の落ちる仕様が気になって仕方がない。どうやって落としてるの、ねぇ、小道具さん大道具さん教えて!!!

これは感想をとりまとめながらぼんやりと思ったことなのだけれど、浩介が最初薫にいい感情を持てなかったのって、社長が嫌いっていうのもあるんだろうけど、自分の手に入れられなかった親の愛情に包まれて生きてきた娘だから、なのかもしれないなぁ。

まとめなおそうと思ったけど、ツイしたことをそのまま載せるんだけど、
薫を引き取りたいという申し出を丁重に断る浩介に、薫の両親にも薫と過ごす時間をあげてくれよ、とか。
note書き終わってからアーカイブ観たけどやっぱりぜんぜん薫に共感できない、とか。
浩介の最後の選択はしあわせなんだろうか、とか。
つまりそれは、誰かから見たら間違っているかもしれないことがそれでも自分にとってはとても大切なことであったりすることなんだよな、とか。
忘れないでって願うことは覚えていたいって叫ぶことなんだな、とか。
忘れたくないことほど零れ落ちていってしまうものだ、とか。
そこにいてくれるだけで希望になる人がいる幸福、とか。
明日が来るのが怖いのと同じくらい、君のいる明日に会いたい、とか。
人生の8割は辛いことでできているって言った人のことを想ったり、とか。永遠とはこの一瞬を積み上げていくことだ、って教えてくれた人がいたな、とか。
そういうことが泡のように浮かんでは肌の上で弾けて、その淡い刺激がしばらくの間消えなかった。ずっとざわざわしてたし、なんなら今も朗読劇のこと思い出すと心がざわざわする。


朗読劇を観たきっかけはヨシキさんのラジオだったし、公演前の回も公演後の回も私はとても好きな回なのだけれど、それはとりあえずアーカイブで聴いておいてもらうとして。
https://youtu.be/iBzkHytFosQ

本題とは関係ないんだけど、第三者がいるって話。
受け手である私も第三者がいるんですよ…物語に没入する自分の横だったり斜め上だったりに、半分くらいまで来たからそろそろ休憩かな、とか、今の仕種はきっと…とか、待って待ってお芝居がうまいな好きだな!とか、今自分が泣いてるのはこういう理由だな、とか、舞台セットのここが好きだな、とか、今の照明最高だったよ照明さんありがとう!とか、俯瞰の自分が常にいて、そういう冷静な自分が邪魔だなぁって思ったりもして、だけどそういう自分がいるからこうして書き留めてもおけるしあとで取り出すこともできるのでだいじなんだよなぁ。
という余談。みんな大なり小なりそういう俯瞰の自分はいると思うんですけどどうなの?

あと何回やっても同じ感動を、っていうような話をしてたんですけど、ご自身でも言ってるようにその日その日で演者も客側もコンディションが違うので…。
私はライブの民なので、まったく同じセットリストのツアーについて回ったりするけど、前日と今日とでぜんぜん違う感覚を得るこもとたくさんあるし、それはお天気だったり、ライブ前のちょっとした出来事だったり、仕事のことだったり、前日のライブを受けてのことだったりする。
私は生の現場が好きだし、同じものでも同じではないこと、がすごく大切なことだって思ってる。
(まぁライブとお芝居はその辺りの話ちょっと違うとは思うんですけど、でも同じだけど同じじゃないから、悲伝は良かったんだしなぁ…あれはループだから…だからこその千秋楽だから…)

あと映像や紙媒体の、変化することのない作品だって、年齢やその時の立場で感情移入する先も解釈の仕方もぜんぜん変わってきてしまうし、そのぜんぶを私はだいじにしたいので、こうしてその時の感覚をパッケージングしておく人なんですよ。
なので、ラジオでヨシキさんがそういうことをだいじにして欲しいって言ってくれるのがすごくうれしくて、この人を好きになって良かったなぁ、と改めて好きが募りました。

さて、本題。
小説をね、読んでたんですよ。
椹野道流さんの「最後の晩ごはん」の15巻。
未読の方のためにシリーズ概要をざっくり話すと、スキャンダルで芸能界を追われたタレントが夜の時間だけ営業している時々幽霊が出る定食屋さんに住み込みで働きながら定食屋の店長や眼鏡の付喪神、訪れる客や幽霊と関わって自身も成長していく話なんですけど、とにかくお腹がすくほどご飯が美味しそうなので読んでください。実写ドラマ化もされてる。夜中の飯テロだった…。笑

芸能活動からすっかり離れた主人公がまたお芝居をしようとしていて、前巻あたりから朗読劇の話が出てくるんですよ。
15巻ではその中でぶちあたる苦悩がしっかり描かれていて、ヨ式でもそんな話を聞いたな、って思って胸がぎゅっとしたんですよね。

主人公が取り組んでいる役が理解できなくて、感情移入ができずにいて役との距離が遠すぎて藻掻いてるんだけれど、理解するための一環として取材に同行した部分の話がとても印象的で。
一部帯にもなってるその部分を引用するけど、「人間は、ただのデータバンクじゃない。思い出を保存する器は、心なんだ。その心の成り立ちを知らずして、他人の記憶を正しく理解することは出来ないし、小説や演技に生かすこともできないだろうしね」っていう。
こう、なんだろう、うまく言葉にならないんだけれど、想像力って創造力なんだよなぁって思うし、それは努力の末の物なんだよなぁ、と思ったんですよ。
で、前のnoteでも言ったけれど、そういうものって発信者だけで成り立つ物じゃないって思うんですよね。
彼らは登場人物たちの人生を自分の中に落とし込んでその一生の中のあるシーンを演じてくれているわけで、それが浮いてしまわないこと、なんていうのかな、演者が溶けてキャラクターそのものが生きているように思える事って、演者さんの演技力ももちろんなんだけれど、受信者である僕らも眼の前の時間のその向こう側を感じ取る力は絶対必要だと思う。
問答無用でそういう理屈をねじ伏せてしまうお芝居もあるけど、ヨシキさんみたいにきっと他の役者さんだって俯瞰の自分がいると思うし、観てる方にも俯瞰の自分はいると思うんですよ、そういう冷静な部分を残しつつ、そこに別の人が生きている感覚が私は好き。
私は○○演じる○○をいつもどこかで意識しているけれど、そのことと役者が消えてそのキャラクターにしか見えないことは別の話なんだよなぁ。
それで、それはそういう双方向性の力が作用し合った結果だと思うんだよ。

ちなみにヨシキさんが、「あの約117分間においては中島ヨシキではない」って言ってたけど、小説の中で朗読の先生が、「私の朗読中ここにいたのは、『妻」だけ」であり、でも、そのお芝居には「作為」が存在してる、って言うのがもうほんと、ヨシキさん!!!言いたかったのはこういうことだよね!!!って改めて文章で落ちてきて思ったし、私はヨシキさんが
自分の考えをわかりやすい言葉で丁寧に言語化してくれることが好きです。
きちんと言葉にできるってすごいことだよ…。

解釈を引きずられたくない、って言うのは私にもあることで、だからあんまり作り手側に説明されることが好きじゃないし、自分の感情を言葉に書き起こし終わるまで、他の人の感想読みたくないんですよねぇ。
これで絶対残しておきたいことひとまずは書ききったので、誰かとようやくこの朗読劇のお話をできそうな気がします。まぁしないけど。笑
感想は!自分だけの物!書き残しておくのはいつかの自分のため!


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