心のエネルギー
連休最終日は餃子をたべた。
来たるストレスに備えて力を蓄えるために。。。
我が家では餃子は作るかお店で食べるかの2択。
食べたいと思った時は家でみんなで餃子を包んで焼いて食べて、
お店で食べる時はラーメン屋さんで食べるくらいだから特別食べたい時ではなくて、メニューにあるからとりあえず頼む、みたいな。
そういう餃子文化で育ったから今まで人生で冷凍餃子を食べたことがない。
翔くんのあのCMは今も覚えてるくらい見てたけど食べたことがない。
少し食べてみたいな、と思う時もあるけど自分で作った方がおいしい(自分の舌においしい)事がわかってるから結局作る方になる。
今度こそ買ってみようかな。
そう、それで餃子を作ってたら自分の餃子包みスキルが高いことに気がついた。
あんまり他の人の餃子を見たことないけど、割と包むのが早くて上手い方だと思う。
だから今まで特技はとくにありません、って自己紹介してたけど
次の自己紹介から特技は餃子を包むことです、って言うことにした。
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この2週間くらいTwitterをやめてみてた。
Twitterはつぶやく方じゃなくて情報収集に使ってて、私が関心のあることについてつぶやいてる知らない人たちをたくさんフォローしてた。
主に
フェミニズム(女性の権利について)
ジェンダー
動物の動画
漫画
など。
Twitterをやめたのは自分が毒されすぎたから。
私が関心のあることについて知りたくて、もっと生きやすい世の中にするために知識がほしくて本当にいろんな人のツイートを見て引用を見て動画を見て、、、
正しいかどうかは置いといて、私が知りたかった情報はすぐ手に入ったし、もっと深く知らなきゃいけないって思うこともできた。自分の無知を反省することもできた。
ただ情報がいつも丸くて優しいわけじゃなくて、尖って鋭くて怖いこともあった。
私はそういうネガティブな情報に浸りすぎたな、と思う。
尖ってなくても様々な意見が(ほぼ)放たれてそのままになっているから、当然わたしが信じたかったことに対して反対意見を言う人もいた。論理的な人もいるしそうじゃない人もいて、その人たちは全く知らないただのTwitter上の人なのに、どうやっても分かり合えないことが辛いと思った。この人たちと分かり合えない限り世の中は絶対に良くなれないんだ、と思ってしまって、反対意見を見るだけでかなり体力を消耗した。
たまにわたしが現実で知ってる人がTwitterで私とは逆の意見をRTしてることもあって、それはもう少し辛かった。
こうやって毒されてしまって、もともと警戒心強いところがもっと強くなってしまった気がするし、恋人には本当に嫌な態度をとってしまったなと思う。
Twitterの中では毎日毎時間いろんなことが起きすぎて、わたしがそれを問題と思っていても何も変わらなくて、広めなきゃと思って伝えてもその温度感は伝わらなくて、そうするとわたしは分かってもらえないと悲しくなって、、、、
わかってもらえないとTwitterの鋭い人たちを思い出して気力を無くしてしまうような。
どこの誰かも知らないTwitterの人と、目の前にいる大切な人は全く違うのに。
Twitterをやめたら情報源がなくなって、こんなに毎日なにか起きているのにそれを知れなくなったらどうすればいいんだろう、と思った。
けどそう思っただけでやめても全然大丈夫だった。
むしろ良かった。
本当に毒されすぎて心がずっと疲れていたなと思う。
情報は知りたいし知る必要があると思うけどTwitterじゃなくて、もっと心を守れる方法でやりたい。
仕事のストレスから守るように、身近な情報からも守ってあげないといけないよなーと。
そしてもっと穏やかで元気でいられるようにしたいな。
はあ
今日もよく寝よう。