生きづらさを生き抜くではなく、生きにくさをなくすには

居住支援法人として少しずつ名が知られてきたのもあるのか、最近は本人ではなく今いる施設などから住まいの相談をいただくようになった。(期限があって日にちが来ると出されてしまうため)

毎度思うのは、

“良き人との出会いがあったならうちに相談に来なくてもよかったかもしれない“

ということだ。

うちに相談に来るのは、いよいよどうにもならないという案件ばかり。

セーフティーネットである生活保護すら受けられない状態だからだ。

年齢を重ねれば重ねるほど、条件が複雑に絡み合って解くのに時間がかかる。

・身寄りがない

・借金がある

・入所中である

・障害の疑いはあるが受診していない

などなど、もちろん本人の努力も必要な部分もあるが、大元を辿ると一番最初の「家庭環境」の土台が不安定なためその後の人生までも不安定になるというパターンが多いように思う。

親兄弟に恵まれなかったら、祖父母。

友人、学校、地域、職場とだんだん生活圏を広げていって、どこかのタイミングで助けてくれる人や助けてと言える環境があったなら生きやすくなれたかもしれない。

一番悲しいのは、薬物依存や犯罪を繰り返して一生を終えてしまうことだ。

例えば、保護司は対象者のソフト面のサポートが強く、非常勤公務員であること。
保護司同士のつながりは意外と薄く、保護観察所は1年毎に移動だったりして情報共有がうまくできていなかったりする。
保護観察官のカリキュラムの元保護司は動くのだけど、その保護司は街の教育者OBだったりして専門性や知識のある人とは限らない。

だから、満期出所のあとの住まいや仕事、生活までは目が届かない。

高齢になって満期出所したあと、世の中にポンと出されても住まいがない、住所がない、お金がない、誰も頼れない。

そんな人もいるという事実。

年末に犯罪が増えてしまうケースの中に、再犯の人も少なくないという。


居住支援法人をやらなければ、そんな現実知らなかった。知る機会もなかった。

こういう話は学校では教えてくれないし、「普通」の生活を送っていると目に触れることもない。

考える機会すらない。

ありのままで最高と言える人を増やすために、どうやって家庭・教育・地域を繋げていくか。

それが自分の人生のテーマなのかもしれない。

茨城県水戸市にて2007年から個人事業に従事、2015年に独立。2021年にsoratobunezumi合同会社で法人化 4人の子育てをしながら泥臭く歩いてきたから分かることを発信/ 肩書なくつながるコミュニティスペース「本拠地」と「本拠地ギルド」の生みの親