自由の無駄遣い

絵の具や色鉛筆に「肌色」という名前の色があるのが昔からずっと気持ち悪くて嫌いだった。人種差別がどうのとかを深く考えた事は無かったので理由はよく分からなかったが、指示されない限りは常に自分で色を作って塗っていた。

天才でも無ければ変人でも無い自分は、空を描く時は青色で、葉っぱは緑色で、土は茶色で塗る人だった。

特別なきっかけは何も無いか覚えていないか、ある時から「何をどんな色で塗ろうが許されるのでは」「絵の中では何しても、怒られる事はあっても別に気にしなければ自由じゃね」と思うようになった。多分、中二病を拗らせていただけである。

そもそも指示って何だ。一体誰に許されなければならんのか。

そんな事を思うようになってから絵を描くのが楽しくて仕方無くなってきた高校時代、課題で原画コンクールに参加して入賞した時に審査員か誰かがくれたコメントで「大人に気に入られようとしない姿勢を今後も続けてね」的な事を言っていたのがやけに自分の中に残っていて、やっぱり自由が駄目なんて事は無いんだなと妙に安心して腑に落ちた。ちょっと違うかもしれないが、これがロックか、みたいな気持ち。

過剰な自由の主張も、自ら不自由に陥っているような人間も、急に湧いて出てきた訳では無かろうがやけに目に付くのは時代だろうか。見た後に時間を無駄にしたと思う事が殆どなのに、見てしまう。残念なループ。

世の中の不毛を抹殺する仕事があれば良いのにな。と書いた二秒後には、誰かにとっては良くても別の誰かにとっては良くないかもしれないしそれが出来るなら政治家にでもなれたかもな、と、なる気も無いのに思う事こそ不毛だな。

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