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ある日、母から大量のクッキーが届いた

年が明けてすぐだろうか。
母から大量のクッキーが届いた。
私が以前、好きだと言ったクッキーだ。

電話をすると「賞味期限が長いらしいから」と言う。コロナで年末年始は帰ることが出来なかった。子ども達に会えず寂しいのだろうか。
それにしても多すぎるだろ、、と言うのも申し訳なく思い「ありがとう」とだけ伝えた。



1週間後だったか、母が倒れた。


医者によると即手術が必要とのこと。
そして、告げられた余命は思いの外短かった。


手術、そしてリハビリを経て退院した母は片足が麻痺していた。思い通りにならない体に苛つきながらも、彼女は久しぶりの我が家を楽しんでいた。

手術の影響か少しばかり認知症もわずらっていたが、美味しいお菓子を食べ、テレビを見て、私たちと話をして、楽しそうに過ごしてくれた。


母の生活は"奉仕"のオンパレードだった。
田舎の嫁の仕事は重労働。
嫁仕事をこなしながら、子育てをし、祖父母介護を全てこなし、そしてあの時代にフルタイムで働き続けた。

倒れた時ですら、病で随分前に施設に入った父のことを気にかけていた。
「あんたら、お父さんの世話できるんか?」
退院してからも、足を引きずりながら家のことを自分でやろうと歩き回りしばしば転倒していた。

お世話されることに慣れていないのだ。
やれやれと思いながら監視する。

こんな感じなら家にいられるな。
そう思っていられたのは最初だけだ。

次第に母は寝ている時間が長くなり、手足の動きは落ちていった。


再手術を経て、母の状態は急激に悪化した。
コロナでお見舞いができないため医者の言葉でしか判断できないが、病院ではほぼ寝たきりのようだ。
治療と治療の間に、とりあえず1週間家に帰れることになり、私も帰省の準備を始めた。


一時退院は4日後。
仕事の調整もひと段落ついた時だ。


父が亡くなった。


てんやわんや、とはこう言う時に使う言葉だろう。
母の介護ベッドに車椅子、大量のタオルが転がる家を片付け、急ピッチで葬儀の段取りをしながら父を弔う。


父には、母の再入院で地元に帰った際に施設に寄ったのが最後となった。母の病がなければ会えなかったかもしれない。

若い頃、父は交通事故に遭った。
一命はとりとめたが、手術に使われた薬剤でC型肝炎に罹患した。
薬害肝炎だ。
事故に遭ったのは遅ればせながらミドリ十字の自主回収が始まった年だったが、まだまだ在庫は全国の病院にあった。

肝不全で亡くなったので、父は薬害の犠牲者になるのだろう。今更怒りなど湧いてこないが、時に命は軽いものだなと思う。

痩せ細った父を撫でる。
私たちは仲の良い親子だったはずだが、施設に入っていた期間があまりに長かったからだろうか?寂しさはあまりこみ上げて来なかった。

いや、これからのドタバタに気を取られ、寂しさを覚える暇すらなかったのかもしれない。


葬儀が終わった数時間後、母は退院し自宅に到着した。

「最後までドタバタと、あの人らしい」

母の偽らざる本音だろうな。
少し笑ってしまった。


そこから1週間、ほぼ体が動かない母との生活が始まった。
親族にも手伝ってもらったが、かくも介護は大変なものか。1週間と期限をきられていても、こんな負荷なのだ。介護離職した同僚たちの苦労に思いを馳せる。

あっという間に1週間が経ち、母を病院に送り届ける。

次退院するときは施設になるだろう。
我が家が大好きな母にどう切り出せばいいか、覚悟を決めないといけないな。ため息まじりで帰路につく。



数日後、母は亡くなった。

容体が急変したと聞いた時には、母は昏睡状態だった。
延命治療をしても意識が戻ることはないと言われ、治療をやめることになった。

駆けつけた私たちの前で弱々しく息をする母。
彼女は穏やかな顔をしていた。

「コロナの関係で15分でお願いします」

声をかけられ病室を後にする。
このご時世だ。会えないかと思って来たのだ。感謝を伝え外に出た。

これからどうするのか。
私たちは駐車場から出ることもできず話をした。
取り敢えず、今日は家に帰ろう。
その前に珈琲でも飲む?
病院の目の前のカフェに入った。

母が最後に行きたがったカフェだ。
あのとき、無理をしてでも連れてこれば良かったのだろうか、そう思いながらメニューを眺めていたときだ。

「すぐ来てください」

病院からの電話だ。
さっき来たばかりの道を急いで戻る。

私たちがついてから30秒もあっただろうか。
母は亡くなった。

待っていたかのような死に、私たちに最後の親孝行をさせてくれたのだろうか、などと思う。

母らしい。


それからは、つい最近したはずの葬儀の繰り返しが始まった。
何せ父の死から2週間しか経ってないのだ。私たちも慣れたものである。

湯灌をしてもらい、母は随分と若返って見えた。

お棺に入れるものをと言われ、幼少の頃に母に作ったビーズの指輪を入れる。

思ったよりも涙は出てこない。

父ほどではないが闘病もあった。
私の中で、母はよく働く元気な母のままであり、だからこそ母は既に過去の人になっていたのかもしれない。
そうだな、心のどこかで介護状態の母を受け入れられていなかったのかもしれないな。

どちらかと言えば、母への思いよりも、母の延命治療をしない判断を医師に伝えた姉の胸中を思い涙が出た。
これほど残酷な役割があるだろうか。
今でも申し訳なく思う。



淡々と火葬が進み、母は真っ白な骨になった。
私が入れたビーズの指輪は跡形もなく消えた。

オレンジに黄緑、青。ド派手なビーズの指輪だった。昔から私には人に指輪を贈るセンスがなかったのだろう。
何もない日に何気なく作り、スーパーから帰って来た母に手渡した。喜ぶ母を見て、こんなに喜んでくれるならもっと上手く作れば良かったと後悔したのを覚えている。

母は晩年、指の関節痛に悩まされ指輪をしなくなっていた。
煌びやかな指輪は引き出しに仕舞われたが、私の作った不格好な指輪だけはいつまでもリングホルダーにあった。

母にとって、私は何歳になろうと子どもであり、過去になることなどなかったのだろうな。

突然寂しくなる。
母を想い、泣いた。



ようやく告別式を終え元の生活に戻った。

歳をとったのだろう。前よりも随分と死が身近になったなぁと思う。いつ死んでもいいように、悔いのない人生を、などと言う言葉は空虚に感じる。

母の人生は後悔だらけだった。
自分のやりたい事を全て後回しにした人だった。
あれがやりたかった、これがやりたかった、、、うわ言のように過ぎ去ってしまった時間を悔やんでいた。


それでも、最後に私たちと過ごした時間を彼女が楽しんでくれていたらいいな。
そう願ってやまない。


いや、母は人に何かをするのが好きな人だった。
本当は、私ができた最後の親孝行は、大量のクッキーをただ「ありがとう」と受け取ったことなのかもしれない。
彼女の声が嬉しそうだったのを今さら思い出す。


今日は天気がいい。

さあ、私もこの日常を楽しもう。
二度と来ない今日を、何気なく過ごそう。

珈琲を入れる。
クッキーの袋を開け、
母のいない世界を噛み締める。


<終>

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