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藤井八冠について

羽生善治九段が全盛期のときに叡王のタイトルはなかったとはいえ、初の八冠達成に将棋会が沸いています。

私もテレビのニュースで見てこの快挙を知ったのですが、チラッとよく見た顔が映ったと思ったら、井上啓太九段が対局の場におられました。

井上九段は将棋会の重鎮で、兵庫県の加古川市で長らく後進の育成に尽力された方であり、弟子は何人もプロになっています。
今回は立会人ではなかったので、将棋連盟の役員としての見届けだったのでしょうか。

井上九段の全盛期は羽生九段の全盛期と被ります。
そのため、「7冠をすべて制し、誰も手がつけられなかった羽生に最初に土を着けた男」の称号はあるものの、タイトルには恵まれず現在まで無冠のままです。

弟子達も同じく「前代未聞の超人」のまえに悔し涙を流すのでは無いか。
そう思いながら対局を見守っていたのではないだろうかと、浅薄な考えをしてしまいました。

ウチの息子も将棋をしています。
本人のやる気が全然無かったし、親としても将来性を見出せなかったため、ウチの息子はその道に進みませんでしたが、小学生のときに切磋琢磨していた子供達の多くは奨励会に入り、今も将棋のプロを目指しています。

小学生の子どもに将棋をさせている親は、対局中に暇なのでよく話をするのですが、あるお父さんは
「奨励会に行く子どもは才能の無駄遣い」
と評していました。

その才能の使い道次第では、世に名を上げ、社会全体をより良くする可能性もあるのに、幼い頃から将棋漬けの生活を過ごし、プロになれなかった人の大半は、20代半ばで経験なし学歴なしの無職となります。
仮にプロになれたとしても、ごく一部を除いて40代50代で将棋会から放り出され、今更サラリーマンにもなれず路頭に迷うのです。

それがプロの世界。
勝負の世界だから当たり前とも言えますが、まだまだ考えの浅い子どもの頃から、将棋だけに人生を捧げるのは、かなりのリスクではないでしょうか。

さて、藤井八冠に話を戻しますが、あんな化物がいると、他の人はそうそうタイトルを取れません。
羽生九段の総タイトル獲得数99期を超えるのは彼しかいないでしょう。
将棋会にスターが産まれるのは、業界全体としては大変喜ばしいことだと思います。

しかし、そんななか、彼の後ろで涙している数多くの「天才」たち。
そしてその将来を少し思い悩むと、本当にこれで良いのだろうか。
と考えてしまうのは、私の穿った考えなのでしょうか。