私の日常日記 (0)

7月30日 (日)

家に久しぶりに帰り、荷物を撮りに行ったら父が全裸でリビングルームに倒れていた。手足に力が入らなかったらしく、1時間同じ体制でいたらしい。私が何度も父を起こそうとすぐら、50kg以下の私が起こすには流石に難しく、父の背中を私が支え、リビングから父の部屋まで芋虫が動くような感じで誘導した。父の弟さんに連絡し、状況を伝えるが、特にお父さんのことを助けようとする意思は感じられなかった。親族なのに冷たい。

父の脱水状態より、救急車を呼ぶことを試みて、119番に連絡したが通話で救急隊員と通話しているのを父が聞き、頑なに病院には行かないと騒ぎ、救急隊員からも父の同意がなければ病院には連れて行かれないと言われ、諦めた。久しぶりに父の部屋を見たが、ハエと得体の知れない幼虫の聖地と化していた。絵に描いたようなゴミ屋敷になっていた。

父はこの夏で70歳になる。高校生の時にはサッカーでドイツへ留学し、高学歴で知られる大学を卒業し、そのまま某車会社に勤め、最後は品質責任者まで登りあげた。海外の至る所に出張しており、仕事も人脈もあった父の現在の姿を見ると心が痛む。父の面影は途方に蒸発している。

高血圧、糖尿病に加え、アルコール中毒も患えているがおそらく3年間以上病院の診断は受けていなく、薬も飲んでいない。父曰く「薬飲んでも効かない」らしい。私は5月あたりに保健所の人に訪問を頼んだことが父が玄関で追い返してしまい父と保健所の人が喋った時間はおよそ10分以下だと思う。それ以降保健所からは何も連絡がなかったが、次回の訪問は8月上旬に訪れてくれるらしい。明日になったら保健所に電話をかけもっと早く訪問が可能た確かめる。

そして、私のことだが、今夜から恋人との同棲が始まる。場所は実家の隣の県内だ。恋人との同棲を決めた要因はたくさんあるが、一番大きかった要因は心身の回復のためだ。父とこのまま住んでいたら頭が狂ってしまうかと思った。不幸中の幸いだが、大学の奨学金の審査が通り、1年間でおよそ45万給付で受け取ることができる。さらにはJASSOの給付奨学金の支援を受けている。今は自宅内通学で1ヶ月でおよそ3万8千円を受け取っているが、自宅外通学が認められれば1ヶ月で多分8万近くはもらえるから少しだけ生活費には余裕ができそうである。だが、いつまで父が学費を払ってくれるかわからないので、金銭面に関したは油断ができない。これからはいかに節約できるかが重要となってくる。

もうすでに過去の投稿で家庭状況を書いていると思うが、父は母が他界してから徐々にお酒に呑まれてしまった。父の同僚も親友もみな関西に住んでたり、亡くなってたりで話せる相手が少なくなったことや、コロナ禍により外に出る機会が減ったことから父は部屋に引き篭もるようになってしまった。

世間では子どもが親の面倒を見ることは当たり前であり、親を労わる行為を「親孝行」とよび、それに反する人々に「親不孝者」というレッテルを貼り罪悪感の刃を突き刺す。
私は親不孝者だろうか?もしかしたらそうかも知れない。私の行いを省みてもう一度自身に問うが親不孝者とせかんから認識されても仕方がないだろう。

とりあえず今は保健所の人と連絡をとり、様子を見るつもりだ。


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