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想い続けるという『才能』

コピーライターとしての才能をテーマにした記事を読んで感じた、物凄い違和感。これはもうライターという範疇にとどまらず職業全般に言えることでは。。と思ったので、感じたことを少しばかり書き残しておこうと思います。

『才能』とは何なのでしょうか。

・その人がだけが持つ特別な能力(ちから)
・一般よりも高い水準で、高い影響力を誇る世界で発揮できる能力(ちから)

個人的にはぼんやりとそんな認識でした。

自分が出来の悪い人間だからかもしれませんが、人が人に才能がないと判断することはとてもおこがましい行為だと思って生きてきました。ましてや部下に対しそれを言ってしまうような上司は、自分から言わせればその上司に人を育てる能力(それこそ才能?でもおこがましいのでこれはなし(笑))がないのだと。

特殊と思われがちなライターやデザイナーという職業は、独特ではあっても決して特殊特別ではありません。ルールとセオリーがちゃんと存在していて、それらを学び個人なりのアウトプットをしていくことで、誰もが生産することのできる『技術』であると思っています。技術は訓練によって磨かれていく。『違和感』に気づく気づかないは才能ではなく、訓練や経験の差が生むのではないかと思うのです。(どちらかといえば経験?)

才能についてまとめた方がいらっしゃいます。

才能とは何か!色んな分野の才能たちが発した「才能」の定義!!!

才能は人によって様々な定義があって一概にコレとは言えませんが、ただ、細かい何かというよりは、情熱や想い、続ける努力など、心の根本的なところにある事例が多いのが印象的でした。

改めて『才能』とは何なのかを考えてみます。

ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。

または、

物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。

この二つに共通するのは『物事をなしとげる力』。
これはまさに育てられる力。個々によって能力(ちから)の大小、向き不向きはあります。でも技術を一定のラインまで到達させるのは上の教育と本人の努力次第。

自分が思う才能の定義とは、やはり一つのことに対して訓練と経験を積み重ねていける能力(ちから)かなと。そこから生まれる結果の大小は人それぞれであり才能の有無で片づけるのはさみしい気がします。

自分自身グラフィックデザイナーという肩書で、お仕事をいただいてますが、正直自分に向いているとは思えません。でも続けることが正義みたいな部分も少なからずあり。。一言でいえば『好きです』の思いだけで続けています。

こんだけダラダラ語っておいて何も成し遂げていない人間ですが(笑)、『能力(ちから)としての才能より『想いとしての才能』を大事にしていきたいと、改めて考えさせられました。

生意気言って大変失礼いたしました。

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