#2 夫婦のおいしい
子供のころからおいしいものが好きだった。
小学生の時に親が買ってきた美味しんぼの影響かもしれない。
おいしいものを見つければ、その旨さがどの成分によってもたらされるかを分析し、当てることが楽しみの一つだった。
夫婦になってまず変わったのは、そんな「おいしい」のあり方だった。
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僕たちは結婚する一年前から妻と同棲を始めた。
同棲して自炊することが増えた。妻の仕事は週6勤務だったこともあって、土曜日の夜は僕がご飯を作る担当だった。
近くに美味しくて安い魚介類が手に入る店があったので、ちょっと凝った料理を作ったりもした。
まだまだ僕がおいしいと感じるものを共有出来ていない。こんなおいしいものがあるよ、おいしいものを知ってるよとアピールしたかった。
ところが、一緒に暮らして半年ほど経った時から、妻の食物アレルギーが強くなった。
まず醤油を受け付けなくなった。醤油をなめたら口がピリピリして痒みが止まらない。
健康に良いとされる油の乗った青魚を食べると、くらくらするという。
すりおろしにんにくを食べたら顔面蒼白になってしまった。
困ったことに、どれも妻が好きなものだった。
好きなのに食べられない。体に異常をきたすけれど、無理して食べることをおいしいと言っていいのか分からなくなって、おいしさを考え直すことにした。
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今まで僕は、舌が歓ぶような味を「おいしい」の価値観にしていた。
でも、たとえおいしいと思うものであっても体が拒否するものを食べること。それを求めているのだろうか。
とんでもない空腹な時に食べる簡素なおにぎりと、はちきれそうな満腹時に食べる油たっぷりの大トロ。
紙コップに入れて歩きながら飲む50年もののウイスキーと、静かにジャズが流れるバーでしっとりと飲む普通のウイスキー。
大げんかしながら食べたり、極度の緊張があったりするとまったく味気がなくなってしまう。
たとえ味覚が良しと思うものであっても、与えられたシチュエーションによって受けてのおいしさは変化する。
僕が妻との食事でおいしいを求めていたのは、おいしさを通じて夫婦で一緒にご飯を食べる時間を、素敵な時間にしたかったのだ。
素敵な時間にするための1つの要素として「食べるものがおいしい」というのは1つだけど、そのおいしさは「体調」とか「どこで」とか「いつ」とか「どんな精神状況で」とかで決まっている。
よく考えてみたら至極当然のことだけれど、一緒に暮らしていく中で、味以外の部分でおいしいご飯を2人で食べることはとっても難しいことだった。
相手がどんな状況なのか、何を望んでいるか、それが分からなければどんな豪華な食事だっておいしくないのだ。
食べ物を口に運ぶその瞬間だけでなく、ご飯を取り巻く全てものを意識して、紡いでいく先においしさが生まれる。
僕はおいしさを生み出す過程を「ストーリー」と呼ぶことにした。
ストーリーがおいしい時間を作っている。
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鰹節も昆布もカレースパイスもあって、ちょっとしたレストランのようになっていた調味料台は、今では随分簡素になって、すりごまやボトル出汁も使っている。
同棲当初よりも味覚的には鈍感になったと思う。
でも夫婦で作るおいしいは年を重ねるごとにわかってきて、今では大抵のものが、同棲当初よりもずっとおいしくなった。
夫婦で世界一周をする中で様々なご飯を食べてきた。日本にないものもをこれでもかと堪能し、舌鼓を打った。
あの経験から言える。
世界一おいしいのは、家のご飯だ。
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