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#6 夫婦の床張り

夫婦で筋トレをしているとき、床が目に入った。

茶色く輝いている木目は、3年前に比べて随分黒みが増してきた気がする。

厚さ4センチ超の杉材は素足をすっと受け止めてくれるやさしさと、二人でドンドンスクワットジャンプをしてもへっちゃらな強さを兼ね備えている。

我が家の床は、僕と妻で一緒に張った床だ。


結婚して引っ越そうとなった時に、どうしても譲れない条件が2つあった。

1つは、庭があること。

庭で植物を育てる楽しさ、嬉しさは何にもえがたい。

妻の紙の原料も作れるし、どうしても庭が欲しかった。

そしてもう1つの条件が「いじれる物件」だった。

賃貸だけど床や壁を自由に変えていいという物件。

今でこそ少しずつそんな物件は増えつつあるけれど、2016年当時それを謳っている物件は皆無だった。

だから上物にはほとんど価値がなく、いじっても問題なしなぐらいに古い物件が必要だった。

いろんな巡り合わせで今の家を見つけた時の、胸の高なりは忘れられない。

ここでどんな生活が生まれるのか、ワクワクしてしょうがなかった。

引っ越し当初は藁畳が敷かれていた。

発砲スチロールで作られたそれとは違い藁の畳は7センチ近くあり、ずしりと重かった。

マイナスドライバーを数カ所に刺してひっぺはがすと、根太の隙間から乾いた砂利に刺す光が見えた。

不思議な感覚が僕をとりまいた。

たった藁畳一枚で、外とつながっているということ。

マンションに住んでいた僕にとって、家はもっと自分とは隔離された、手に届かないようなもののような気がしていた。

床を張ること。

床を張れるようになること。

それはつまり、生き方の道筋を変えることのような気がした。

当たり前のように与えられている環境も人が作っているもので、人が作れるなら自分でも作れるのだ。

僕たちが初めて買ったパジェロミニの荷台にはベニヤ板が使われていて、車でさえも手作りなのだとにんまりしたことを思い出す。

やれる気持ちと、やりきる熱意を持つことの大切さを夫婦で共有できた気がした。

吸湿防水シートを敷いた上から根太を渡し、隙間に断熱材をはめ込み、端から無垢材を釘で止めていく。

一枚一枚と出来上がっていくにつれ、杉の香りが部屋に広がっていく。

剃りや歪みで隙間が空いてしまったり、打ち損じでハンマー痕がついてしまったところもあったけれど、出来上がった床はどこで出会った床よりも輝いて見えた。

夫婦で一緒に作ったものが家を満たす。

それはつまり、生活の関係を高めるということだと思う。

僕たちが一番多くの時間を費やすリビングは、床を張り、壁を塗り、仕切りの布は二人で絞り染をした。

飾っている額縁も全部二人で作ったもので満たしている。

自分たちで作った物は、悪い空気を発さない。全てが僕たちを支え、苦しいときに味方してくれるように思える。

肘に触れている机も、足が触れている床も、正面に見えている仕切り布がそう言ってくれている気がする。


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