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絵が描けないのにアニメーション作家になるということ。

話すと長いけどとにかく色々なことがあって絵が描けないのにアニメーション作家をやってる。


絵が描けない。昔からぜんぜん描けない。

自分にとってアニメーションにおいて「絵が描ける」ということは「同じキャラクターがアクションしているのを360度、どの角度からどんなレンズであっても描くことができる」という意味。

それに対して自分の能力はどのくらいかというと、同じキャラを同じように描くことができない、正面と真横からしかキャラの絵を描けない、俯瞰とアオリでどのように見え方が変わるかよくわかってない、レンズの違いを意識して絵を歪ませて描くなんてもちろんできない。

とにかく何もできない。絵が描けない。

よく美大出身の人に「絵描けるのすごいよねー」というと大抵が謙遜して「いや、全然描けないよ」というけどそれは美大で上には上がいるクソヤバ才能下剋上を体感したあとの謙虚から出てくる言葉であってこっちの全然描けないとは種類がまったく違う。美人のスキンケアなんにもやってません宣言みたいなもので鵜呑みにしたところで相手が違う。

とにかく色んなことがあって「これしかない」と何年も前にアニメーションを作ることに決めた。絵なんか描いたことないし、もっと言えばアニメーションもほとんど見たことがなかった。でも作ることだけを先に決めた。

高卒だから先輩も同級生も後輩もいない。就職したことがないから同業者もいない。絵すら描けないのに誰からも何も教えてもらえない状況で、どうするか。王道はハナから諦めて独学と発明のけもの道に分け入っていくしかなかった。

これは5年前に作った「coast」というアニメーション。

アニメーションの基本は「原画」という動きの要所の絵を描き、その間を「動画」という絵でつないでいく(と本で読んだ)。
でもこっちはそもそも絵が描けない。「絵を描いてその間をさらに絵で埋めていく」なんてできるはずがない。自転車も乗れないのに一輪車で象の股をくぐれといわれてるような無理中の無理だ。

そこで当時の自分が注目したのはロトスコープという手法だった。ロトスコープは実際にカメラで撮った映像を線でなぞり直してアニメーションにするという方法。

「そうか、なぞりゃあいいんだ」

これならどう考えてもいけると思った。だってなぞればいいだけだ。
よし、なぞろう。なぞってアニメーションを作ろう。絵が描けないのにアニメーション作家になるだけあって頭の土台はとても単純にできていた。

ある映画から裸で踊る女の人をなぞった。

ビッグダディの特番でスイカ割りしている子供をなぞった。

浦島太郎のコスプレ写真をひっぱってきてアフターエフェクトでパペットで曲げてからそれをまたなぞった。

母と子の別れを描いた悲しいドキュメンタリー番組に出てきた海の波をなぞった。鳥もなぞった。水木しげるのマンガから描き文字をなぞった。とにかくなぞった。全部なぞって、なぞりながら色や細部を少しずつ変えた。


そうやってツギハギするように構成してみてなんとか一応形になった。なんせ絵が描けない自分が1本アニメーションを作ったのだ。「このやり方なら自分にも作れるじゃないか!」。そこに興奮と感動が確かにあった。

次に作った「summer」ではさらに様々なものをなぞった。

知り合いをカメラで撮影してなぞった。AKBの踊りを踊っているキンタロー。をなぞった。白塗りで米米クラブを歌う野生爆弾の人をなぞった。NHKに出てきた大王イカをなぞった。スーパーニュースに出てきたアシカの赤ちゃんをなぞった。志村けんをなぞった。ガキの使いの七変化で中年男性の金玉をのぞくハリセンボンの人をなぞった。とにかくなぞって、なぞってからまた色や細部は変えた。


「summer」を作ってみてこの手法の問題点に気づいてしまった。

「作りたいアニメーションに合せて素材を集めるのめちゃくちゃ大変だ...」

例えばくじらを出そうと思ったら理想の動きをしているくじらの映像を探さなければいけない。時間がかかるし、なによりそんなくじらの映像はどこにもないかもしれない。

この方法は現実的じゃない。よく考えたらすぐわかりそうなことだが、2つ作品をつくってからやっと骨身に染みるように理解した。


そうしてまたどうすればいいのか模索する日々が始まった。その中でCGを覚えた。マスクアニメーションを覚えた。やっぱり絵を描いたほうがいい気がして絵の教室に通ったけど三か月で行くのをやめたりした。

試行錯誤の中で日々突きつけられる絵が描けないことへのコンプレックスは拭い去るのが難しく、それでも絵を描く以外の方法でアニメーションを作りたいという思いが交錯し何度も引き裂かれそうになった。
アニメーションを作る前にお守りのように絵の描き方の本を何冊も買っては1ページも読まずにすべて売るという悲しい儀式が何年も続いた。


それでもどうにかここ1年くらいで自分なりのアニメーション制作のノウハウが固まってきたように思う。絵を描かないことで失う情報量をどこで補填するか。カメラを無視してどうカットを作るか。そういう問題が立ち上がる度に不思議なことにアニメーションの魅力を自分なりに再発見しどんどんこの仕事にのめり込んでいく。

絵が描けなくてもアニメーションが作れると思ったのはこの表現の中に開かれていた自由を信じたからだった。アニメーションは何でもできる。好きなキャラを出し、好きな動きをつけて、好きな街を描き、好きな空の色を塗って、好きな位置から好きなカメラで好きなように撮ることができる。重力も慣性も自分の気分で思いのまま描ける。そして、もっとも重要で自分が信じて掴みたかったのはそのすべてを自分の意志で「描かなくてもいい」という選択の自由だった。


せっかくnoteを始めたからこういう自分の話もちょくちょく書いていこうと思います。長いのに読んでくれてありがとう。アニメーション制作はとてつもなくおもしろくて、どこまでも魅力的です。


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ソーシキ博士

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