今を抱きしめて生きていくために、私は過去を手放していく
私がほしいものは、もう一生、手に入れることができない。
今ならわかる。
私がほしいものは「あなたを傷つけて、ごめんなさい」だ。
私が納得するための、最後の儀式として。
私は、その言葉をずっと望んでいる。
そして、望むのと同じくらいの気持ちで、もう一生、手に入れることはできないとあきらめている。
だから今日は、これまでの自分を自分で許すために。
生まれた場所について、もうこれ以上執着しないために。
長く引きずってきた思いを手放すために、書こうと思う。
これは、私が私のために書く、私の側からみた、私の生まれの家族のはなし。
※個人的な話になるので、途中から有料にしました※
埋まらない空白を手放せると思ったのは
ずっとずっと、埋まることのない空白を持ち歩いていた。
なにか、誰かで埋められないか。みえないように蓋をすればなくならないか。いろんな方法を試したけれど、空白は消えてくれなかった。
私は長い間、空白が埋められない代わりに、空白の中に「怒り」を飼っていた。
怒りの感情は、それ自体はネガティブにみられがちだけれど、負けず嫌いの私からしたら大切な動力だった。
怒りは、私を奮い立たせてくれていた。
でも、その空白に入るピースが「家族愛」的なものだと気づいたとき、「怒り」は「とまどい」に変わって、「悲しみ」になって、それから「あきらめ」になった。
あきらめられる、手放せると思えるようになったのは、つい最近。私にできることは全部やって、やった上で、もう絶対に手に入らないってことに納得できてからだ。
あとがきのまえがき
一通り書き終えてみて、だいぶスッキリしたというのが最初の感想だった。
"家族"というキーワードに、いつもどうしても仄暗さを感じてしまう性分なので、もっとドロドロとしたひどい文章になって、途中で書けなくなっちゃうかもなとも覚悟していたけれど、今回はなんとかかたちにして……一応は書き切ることができた。
書き始めたことで思考が整理されて、気持ちが落ち着いたことも大きい気もする。
まだ、治りかけのかさぶたみたいに、勢いよくめくれば血が出るし、痛かったことを思い出そうとすればキリがないけれど、今回このタイミングで書き切れたという事実は、きっとこの先も私を救ってくれる。
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