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旅のはじまりと、友人のこと

 2018年10月19日の夜明け前。なぜこんな時間のフライトを予約してしまったんだ……。そう30回は頭の中で唱えつつ、私はまだ真っ暗なヘルシンキの町をゴロゴロとスーツケースを押しながら歩いていた。

フィンランド トゥ アイスランド

 
  数日間滞在したアパートメントのあるカンピ地区から徒歩で10分ほど、スーツケースのコロを数歩ごと石畳のくぼみにひっかけながらだと15分ほどでヘルシンキ中央駅に到着する。駅の西口から出発するバスに乗って空港まで行くつもりだった。

 秋の冷気が漂う早朝のヘルシンキは、暗闇に包まれている。誤算だった。早朝は深夜の続きであることを失念していたのだ。

  滞在中は、きちんと夜の外出を控えていた。海外旅行初心者の鉄則である。いくらフィンランドの治安が良いとはいえ、念には念を入れて、おおよそ夕方すぎにはアパートメントに戻って休んでいた。しかし早朝なら問題なかろう、なにしろ朝だし!と、たかをくくって飛び出した午前5時のヘルシンキは完全の夜だった。

  夜通し遊んだのであろうテンションの高い若者の集団や、どことなく目つきが胡乱なおじさんおばさん、幸福などどこにあるのかとでも言いたげな顔でしゃがみこむ人々が駅を取り囲んでおり、大きなスーツケースを転がしながら不安げな表情でうろうろする成人女性は明らかに浮いている。すごく見られている気がするが、その視線からは何も読み取ることができない。私の挙動を窺う人々の表情が薄ら笑いに見えてくるのは、きっとこちらの心情の問題だろう。

 立派な駅舎には昼間よりはるかに数の多いカモメが群れている。鳥というのはなぜ群れれば群れるほど不気味さが増すのだろうか。一羽や二羽なら可愛いものを。昼間はフィンランドらしくて良いな……と思っていたカモメも、こうまで大群に見つめられると(実際には見向きもされていないのだが)、不穏な感じがしてくる。

 とにかく見るもの全てに対し、余計で過剰な恐怖を抱きつつ、「バスはどこ……」と決して広くはないヘルシンキ駅周辺を歩きまわった。出発時刻が迫る。このバスを逃しても次のバスに乗ればギリギリ間に合うタイミングではあったが、できればそんな綱渡りはしたくない。

 焦れば焦るほど、石畳の溝や道路の段差にスーツケースがひっかかる。日本で、大きなバックパックを背負った海外の旅行者を見かけるたびに「なんであんな肩の凝りそうなものを……山に登るわけじゃなし……」と思っていたが、こういうわけだったのか。ヨーロッパの石畳とスーツケースはなかなか相性が悪い。

  しばらくして、必死にバスを探していた場所が、本来の発着場である西口ではなく東口であったことにようやっと気づいたときには自分のポンコツぶりに嘆息の嵐であった。無事バスに辿り着いたときには本当に安心して、恥ずかしながら少しだけ涙が滲んだ。

  そうして私は、早朝とは、深夜の続きであることを思い出したのだ。

  夜明け前のヘルシンキ中央駅を出発し、ヴァンター空港で朝日を眺めながら搭乗したアイスランド行きの飛行機は、なぜかアジア人だらけだった(そもそも私だってそのひとりである)。国籍まではわからないが、欧米人に見える人は本当に数名だったのだ。3時間のフライト中、私は一体どこへ向かっているんだったっけ?という疑問を抱いてしまうほど、機内はアジアだった。

  いたるところノンストップに交わされる大声の会話、大音量で響く音ゲーが謎のビートを刻み(イヤホンをつけるという発想は無いらしい)、機内食などないはずなのに充満する濃い食べ物の匂い、後ろの席の大柄な少年は「ねえ、君さ、足疲れない?」と問いただしたくなるほど何度も何度も座席を蹴り上げてくる。パワフルである。生きる力にあふれているな……と、脆弱な精神と肉体を持つ私は感心しつつも少し疲れた。いや、けっこう疲れた。日本からフィンランドまでの9時間よりもよっぽど疲弊した3時間だったのが正直な感想である。

  しかしそれも、アイスランド上空に差し掛かってからは(あんまり)気にならなくなった。

  鮮やかな黄色や赤色に染まっていた紅葉のフィンランド国土とは打って変わって、眼下に広がるのはなんとも飾り気のない広漠とした大地と、不安なほど深い群青色を湛えた海だった。機内の騒音と混ざり合った種々の匂いと蹴り続けられる座席のおかげで感じ始めていた頭痛がすーっと遠退き、頭が冷めていくような興奮が沸いた。来たのだ、アイスランドに。


旅のはじまりと、友人のこと

「あずみさん、アイスランド行きませんか?」

  暑さ残る9月のはじめ。昼間からクーラーを効かせた自室のベッドの上。クッションにもたれてだらけた姿勢で本を読んでいると、ベットサイドに投げてあるiPhoneがポコンと鳴った。

  学生時代から使い続けて最近めっきり寝心地が悪くなってきたシングルベットの上で受け取ったのは、遠い国へいざなう唐突なメッセージだった。送り主は大学時代の後輩。私は大学生のとき、陶芸部に所属しており、土をこねたりロクロをまわしたり(そのままの意味で)、窯を焚いたりして遊んでいた。彼女はそこで出会った一つ年下の友人だ。苗字にちなんで「やっさん」と呼んでいた。

  私は大学時代を京都の北西あたり、衣笠と呼ばれる地域周辺で過ごした。少し軽薄でとても楽しいその時期の記憶には、だいたいやっさんの姿もある。聡明で、独立していて、インドアな趣味人のわりに友だちがとても多くて、話が面白い人だった。あと、持ち物にやたらと白熊のモチーフが多い。

  大学卒業後、彼女は東京で大企業に就職した。冒頭のメッセージには、6年勤めたその大企業を退職して、もう少し規模の小さい会社に転職するにあたり、ぽかんと手に入った有給休暇を利用してヨーロッパへ行くつもりだという旨が書き添えられていた。出発は10月半ばが良いのだという。

  iPhoneを握りしめ、LINEの画面を見つめた。ヨーロッパに行ったことがないどころか、海外旅行すらたった2度しか経験のない私であるから、きっと自分は何かしら理由をつけて断りの返事を送るのだろうと、どこか他人事のように考えながら。

  半分ニートのような実家生活を送り(しかもそれに対して罪悪感が薄い)、30歳にもなって貯金もたいして持たない私には海外旅行など贅沢がすぎる。両親もきっと良い顔をしないだろう。日程も急だし。アイスランドになど行けるはずがないと判断するに足るだけの理由を、私は自然に並べたてることができた。我ながらこういう言い訳じみた理由づけだけは一級品である。

  しかし、ふと顔をあげると正面に置かれた本棚が目に入る。エッセイや雑誌を並べた棚には、何度も読み返したTRANSITのアイスランド特集号がある。Apple Musicのお気に入りにはシガーロスやビョーク、ヨハン・ヨハンソン、ムームのアルバムが並ぶ。大好きな漫画家、入江亜季先生のアイスランドを舞台にした新刊は、デスクの一番手に取りやすい場所に置いてある。昔、「試しに調べてみるだけだ」と自分に言い訳をしながらJTBで予算や旅程を打ち出してもらった、アイスランド旅行の書類もまだ持っている。そう、私はずっとアイスランドに行ってみたかったのだ。

  長い間ずっと、行きたいと思っていた。「どうせ行けはしない」という卑屈な安全装置を起動させたまま。

  そういえば、大学時代に一人でアイスランドへ行っていたやっさんには、私もアイスランド行ってみたいんだよねといつだったか話したことがあったし、シガーロスを教えてくれたのもやっさんだった。現在私が住む尾道まで遊びに来てくれ、久しぶりに再会した彼女にせがんでアイスランドの話をしてもらったのはついこの夏のことだ。

  そんなことを思い出しているうちに、気づけば私の右手は「行きたい。ちょっといろいろ調べてみる」というような内容の返事を送っていた。

                                                                       

                                                                                       (つづく)


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