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外国へ行く理由

外国は不便だ。まず言葉が通じない。空港の職員は怖いし、トイレは綺麗じゃないことも多いし、湯船には浸かれない。どう考えても世界で一番美味しいのは、お茶漬けと大根の古漬けに決まっているが、外国にはそのどちらもない。

でも私は外国に行く。スーパーのレジでまごついて店員に呆れた顔をされても、iPhoneのGPSが大間違いの場所を現在地だと言い張っても、洗濯機の排水溝が詰まって汚水が逆流しても、ワンポーションが重すぎる食事が胃を疲弊させても、部屋の鍵が〈コツが必要〉とかいうレベルを遥かに越えて全く開かなくて立ち往生しても、私は外国に行くのだ。

しかし、外国ってなんだ。もちろん国境のことは知っている。自分が暮らしている地域から国境を超えたところが外国なんでしょう? 社会の授業で習ったから知っている。でも、それがなんだって言うんだろうか。

外国を、「わからない」ものであることを前提に「理解しよう」とする人は多いけれど、たとえ外国じゃなくたって私は、私のこと以外、何も知らないし何もわからない。

いや、私自身のことだって自分で思っているほどよくわかっていない気がする。ましてや他人のことなんて何ひとつわかっていないに等しいし、そのわからなさは外国へのわからなさとそんなに違わない気がする。むしろ、同じ日本語という言語で会話をしているのに「この人、何言ってるのかわからない……」と思うときの方が広大な心の距離を感じはしないだろうか。

***

何年か前、見知らぬオランダ人の男女カップルがうちのお寺を訪ねてきたことがある。今晩の宿を探しているのだけど、この近くにどこかホテルを知らないか?と彼らは尋ねた。結局、その日泊まれる良い宿は見つからず、なんだかんだあって、我が家に泊まってもらうことになった。

晩酌(彼らは日本酒が好きだった)を交わしながら、彼らと私たち家族とでいろんな話をした。私の拙い英語を彼らは辛抱強く聞いてくれたし、日本語でも会話をしようと努力してくれた。言葉が拙いからといって表面的な会話でやり過ごそうともしなかった。母国語でさえきちんと説明できるかわからないような話もした。

お寺や仏教の話にも彼らは関心があるようだった。そんな話の流れで、日本のお寺は住職の子どもが跡を継ぐことが多いのだと説明したとき、カップルの男性の方がこう言った。「じゃあ君が(私のこと)ここのお寺を継ぐんだね」と。私が返す言葉に迷った一瞬、カップルの女性が男性に対して穏やかにこう言い添えた。

" If she wants "  

「彼女が望むならね」思いがけず放たれたその言葉は、とすん、と音をたてて私の心に着地した。

たった3音節の外国語は、長い時間をかけて抱え込んだいくつかのかすり傷に、「痛かったね」と優しくふれるようだった。(彼女にそんなつもりはなかったのだろうけど)

当たり前のように私がお寺を継ぐだろうと決めつける人がいたこと、自分に将来の夢を持つことなんて許されていないのだと思い込んだ思春期の卑屈な気持ち、家の事情を理由に経験した別れ、未だ決断ができていない自分、待ってくれている両親への情けない気持ち。

決して無くなりはしないこれらの気持ちが、ほんの少しだけ、救われた。その「ほんの少しの救い」をどれだけ自分が求めていたのかも知った。

それをもたらしたのは、遠い国からやってきた、言葉の通じない「外国人」だった。


誰かが誰かを理解しようと思うとき、言語の違いは確かに大きな壁だ。でも、最後の最後に私と他者との間に立ちはだかる壁は、きっと言葉じゃなくて、私たちの心だ。

そして、無人島に一人佇むかのように孤独な私たちの心に橋をかけてくれるのもまた、言葉であり、その奥にある心だ。

心を届けてくれるのは、母国の言葉かもしれないし、どこか遠い国の言葉かもしれない。

それを確かめるために、たぶん私は外国へ行くのだ。



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