そうだ、散歩に行こう

 散歩が好きだ。

 こう言うと、やれジジくさいだの、寂しいだの散々な言いようをされることがほとんどだ。しかし僕は言いたい。散歩の楽しさをわからない君たちの方が寂しい人間だと。

 「歩」という漢字を含むものの、僕は散歩は必ずしも歩くものではないと思っている。
 まだ僕が因数分解も解けなかった頃から、一人でふらふらと自転車を漕いで、あてもなく彷徨うのが好きだった。僕が育った町は–––今となってはそれが町と呼べる代物だったかも怪しいが–––海に面した小さな町だったので、最終的にたどり着く場所はだいたい海だった。ただしさして海が好きだったわけではない。気がついたら海に着いてしまっていて、仕方ないからそこでダラダラ過ごしてから、いそいそと家路についていただけだったように思う。
 その当時から、頭の中に住む怪獣とずっと戦っているような、想像の世界にどっぷりと浸かっている少年だったので、散歩中に色んなことを妄想するのが楽しかったのだと思う。今と同じで、危機感のない腑抜けた人間だった。

 大学に進学して、テレビでしか観ない、聞かないような大きな街に引っ越した。新しい友達が出来て、新しくお酒という遊び道具も増えたけど、僕の散歩熱は赤ん坊の体みたいに熱いままだった。
 この頃から、自転車ではなく歩いて徘徊することも増えた。これはあまりスピードを出さない方が楽しい遊びだ、と気がついたのである。
 どちらを向いても知らない道。大学の帰り道は、必ずと言っていいほど遠回りをして帰った。新しい景色を吸い込んでいくのが楽しくて、毎日のように自転車を漕いだ。大学の周りをあらかた歩きつくした後は、家を出て学校とは逆方向に歩を進めた。できるだけ文明の利器に頼ることなく進むことをモットーにしていたため、帰り道の方向がわからず、暮れ泥む墓地の隣で半ベソをかいたこともあった。
 その後、今に至るまでに10回近く引越しをしたのだが、その度に新たな散歩道が生まれるので、毎回散歩が楽しくて仕方がなかった。散歩のためなら、数十万の引越し代の出費は、必ず是となるのである。

 かといって、旅行が好きなのか?と聞かれると、全くもって違う。
 旅行には必ず目的地がある。僕は、気軽に出発して気軽に帰れる散歩が好きなのだ。目的も意味も理由も何もない散歩が好きなのである。

 最近は、夜の散歩が気に入っている。社会人になり、平日の昼間にうだうだできなくなってしまったこともあるが、夜に歩くことが増えた。昼間の雑音も落ち着くというか、気が和らいで好きなのだが、夜の静かさも悪くないのだ。べた塗りした静けさではなくて、その上に、車のエンジン音やら居酒屋の笑い声やらを、はらりとふりかけたような。上品過ぎない静かさが良いのである。
 ただし、結局のところ、どこで歩こうがいつ歩こうが、僕は何も考えちゃいないのだ。

 左右の脚をほとんど機械的に交互に動かし、周りを見ているようで見ていない。ラジコのタイムフリーで深夜ラジオを聴いているようで、聴いていない。何を考えていたのか、後で何も思い出せないような。そんな無駄な時間が愛おしいのである。
 散歩に行くと、思考が纏ったり、頭がすっきりするような気がする。だから本当は、無理にでも時間を作る方がいいのかもしれない。だけどそうすると、強制的になってしまうから、僕は楽しくなくなってしまうだろう。
 意外と僕にとって、散歩は奥が深いのである(あくまでも、僕にとって)。

 つまるところ、もはや僕は散歩が好きというよりは、何も考えずに無駄な時間を過ごすことが好きなのかもしれない。と、言ってしまえば身も蓋もないのだが。
 でもこんな時代だからこそ、僕はこの感覚を大事にしたい。無駄な時間を意図的に作るのは、実は難しいと思う。色々便利な電子機器が出てくる現代だからこそ、散歩なんていうアナログな行動を僕は持て囃したい。歩くだけで楽しい時間を過ごせるなんて、打ち出の小槌そのものではないか。

 その昔、かのイチローが、「肩に自信が持てなくなったら野球を辞める」というようなことをインタビューにて発言していた記憶がある。
 僕がこの先、もし散歩ができなくなるくらい衰えてしまったら、この時間的にゆとりある生活を諦めなければならなくなるのだろうか。

 今日はこれから一時間程、ぷらりと歩くつもりだ。目的地を聞くなんて、野暮な話だ。

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素数/JP

長いものに巻かれるエッセイ

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