教育社会学者の育休日記♯21 日常で思うこと、、、

前回の投稿から早3か月もたっているそうな、、、

なんとなく、生まれたばかりのわが子と共に時間を過ごし、すべてが新鮮で、イベントっぽい日々から、やるべきことがわかってきて、それが日常になり、一方で、そうするとほかにもやりたいことやら何よりもやらなきゃいけない貯めていたことが目に見えてきて。

全くもって批判でも何でもない(それぞれの環境があり、考えがあってしかるべきだと当然のごとく思っています)のだが、数か月の育休であればイベント的なところで仕事という日常にかえっていくのかな、と思ったりして。
でも育児と家事が日常になると、それはそれでまた忙しく、刺激的でもあり。本当に日々の世界の見え方がかわってくる感覚がある。

朝起きて、洗濯機に洗濯物を入れてから、昨晩洗った食器を片付けて掃除機をかける。
掃除機が早くかけ終われば体のメンテナンスのためにストレッチをして、選択が終わったら外に干す。
妻と交代してわが子と遊び、朝寝へ。
その後ランチをつくって、日によってはお買い物。午後わが子を連れてお散歩に出かけたり。
その後夕飯の準備に取り掛かり、夕方にはお風呂の時間(これは至福の時間)。
お風呂上がりの授乳の裏で夕飯の仕上げ。寝かしつけが長引く日には後退して寝かしつけ。
その後二人で夕飯、食器を洗って少しだけ自分の時間。

そんな日々は、こうして文字にすると忙しそうで、なんとなく味気ないようにも見えるが、本当に豊かで彩にあふれた日々。
発見と気づきの連続で、生きるとは、暮らすとはなんて贅沢なことなのだろうか、と思わせる。

これまで気づかなかったことや意識が向かなかったことにもたくさん気づくようになる。
この街は、小中学生が本当ににぎやかに街を歩くことができる街なんだな、とか。実は緑が多く、公園もたくさんあるんだな、とか。ベビーカーを押す方々にたくさん出会うな、とか。車よりもバイク、バイクよりなにより配達のトラックがうるさいんだな、とか笑。

そんな些細なことに意識が向く。
環境が変われば自分が変わる。
自分が変われば世界の見え方が変わる。

世界の見え方が変われば、日常が色づき、世界はもっと刺激にあふれていく。


心から、わが子に感謝。

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