教育社会学者の育休日記♯11 初の我が子への苛立ち、反省と気づき

深夜12時を回って、懺悔のように皿を洗い、庭のコンポストに生ゴミを入れて、ぼーっとしている。


今日、はじめて我が子に苛立ちを感じてしまった。

育児をしていれば、「あーもう!!」となることはままある。
育児に関わる道具に関して(なんで哺乳瓶と乳首の洗うスポンジ別なんだよ!一緒になってろよ!とか)ってこともあるし、あーなんで一人しかいないときなのにミルクのためのお湯沸かす前に泣いてる我が子を抱っこしてしまったんだ、と、自分への苛立ちとか。


それが我が子に向く日がこうも早くくるなんて、情けなさで消えてしまいたい気持ちだ。


おむつをかえて、ミルクをあげて、げっぷもして、部屋の温度も調整して、それでも泣き喚く我が子。
やれることを探して何かをするもハマらず、泣き声は大きくなるばかり。「あーもう!なんだよ!イライラする!」と、意味の伝わらないことをいいことに、苛立ちが言葉に出てしまった。赤ちゃんは言葉がわかるまでに時間がかかるというが、個人的には言葉以上にたくさんのことを受け取っている、と考えている。
それなのに。。。


途中まではとてつもなくうまくいっていたのだ。今日は、育休前最後の仕事の日(仕事を終わらせきれず、今週いっぱいは働くのだが、、、)。
朝から家事もし、仕事もし、仕事の合間にイカまで捌いて、夜ギリギリまで働いたあと料理をして、妻の体力温存のために夜の育児担当をにない、そのことを賞賛するかのように、我が子もめちゃくちゃ穏やかに寝ていたのに。。。(いや、寝過ぎて寝れない、の、か?)


こんなときは何をしてもうまくいかない。
こちらのモヤモヤやら感情が伝わってるのではないかと思うくらい、逆、逆に来て、手足をジタバタ、泣き声わんわん。
あぁもう!と思ってベッドにおいてみると変に落ち着いちゃったりなんかして。

その姿を見て我に返り「ごめんね」と声をかけて近づくとまた泣き出したりして。
全てが裏目に出る夜。

妻の実家から我が家に帰ってきてからの自分の寝不足も原因の一つだろう。気張って家事を頑張って、仕事もして、知らず知らずのうちに疲労が蓄積していた可能性はおおいにある。ベテランパパや、世の中の全ママさんには「なにをひと月ごときで」と怒られそうだが、この気持ちはノイローゼやら鬱やらにつながるわそりゃ、と思ってしまった。
ポケトークを開発した方にはただちに赤ちゃんの言葉を翻訳する機械を作って欲しいと思ったし、赤ちゃんの表情、手足の動き、一日の過ごし方、温度などなどを読み込んでAIに「いまこの子は何を求めているのか?」のリストを確率を含めて表示してくれるようなツールを誰かに発明してほしい(その発明力やら企画を実現できるような起業家の方は育児に関わる時間がなさそうで、いきつかなさそうだが、、、)。


でもきっとそーゆーことではないのだ。
我が子を思う気持ちを大切にしながらも、妻は妻で、自分は自分で、それぞれのコンディションを豊かに保つこと、協働のなかで余白、余裕をどう持つか、ということにも意識を向けること、我が子のこと一辺倒にならずに自分たちのこともちゃんと大切に扱うこと、そのことをもって心の余裕をつくり、「わからないを楽しむ」心持ちを持つことがきっと何より大事なのだ。

はぁ、言葉にして少し落ち着いたところで明日の朝は我が子にごめんねと、ありがとうを、伝えよう。

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