教育社会学者の育休日記♯17 むき出しの生存本能に照らされることこそ、子育てにおける至高の体験

子育てをしていると、あるいは泣きじゃくる我が子とともにいると、丹田のもっと下あたりにぐーっとりエネルギーを感じるときがある。

その体験を振り返って、その感覚はむき出しの生存本能、生きるという欲求に照らされるなかで起こっていることに思えてきた。
そのこと自体が、子育てによって発生する他では絶対に得られない体験なんだと、感じている。


子育てからもらえることは本当にたくさんある。
我が子の可愛さにはじまり、親としての自覚や夫婦の絆、家族にチームとしての構えが整い磨かれていく機会、子育てに関する知識、新生児、乳幼児、幼児に関する様々な考え方、育児のスキル、家事のスキル、本当にあげ出せばきりがないほどのギフトをいただいていくプロセスだ。

ただ最もインパクトの大きいことは、「むき出しの生存本能に照らされる体験」なのだと、子育てを初めて一か月半で気づいた。

これは、育児という体験からくるという捉え方もできるし、あるいは新生児から乳幼児といった産まれてからそう間もない、大人が受け取れるコミュニケーションとしては「泣く」か「鳴く」しかない、「人間」としてあまりに脆弱で、かつこの上なく愛おしい存在とともにいる、という体験から受け取るものなのかもしれない。


その体験は、
「おまえはどう生きるのか?」
「何を大切に日々過ごすのか?」
という問いを真正面から投げかけてくる。


学校でキャリア教育が始まって20年以上、学校教育においてでさえ「あなたの夢は?」、「あなたは何がしたいの?」と聞かれることが日常と化している(そのことに強い問題意識もある)。
社会人においても、終身雇用制が一般的なことではなくなった現代社会においては、キャリアは選べるものであり、その前提は「選ばなければいけない」強迫観念へともつながりつつある。
そんな世界には、言語化されたり無言の圧力だったりする「お前は何がしたいの?」という問いが溢れている。

一方で、本当にその問いが機能する場面は少ない。
多くの場合、聴く側が答える側の「意思決定」の言質をとるための質問として使われ「おまえがやりたいっていったんだろ」と、責任の所在を明確にするテクニカルタームとして用いられる場面が多い。
そんな“ゲーム”に慣れ親しんだ答える側も、意識してか無意識でかはともかくとして、言い訳やらかっこつけやら建前やらを用いて、「おまえはどうしたい?」の問いの回答が披露され、その結果ゲームは自己強化され、ほぼ機能しなくなり、自問するときでさえ、本音を探らなければいけなくなる。


そんな社会にいて、こうも直球で、こうも受け取らざるを得ず、そして瞬間で終わらずにじわじわと自問することにつながる「お前はどうしたい?」は、きっと他にない。




そんな体験を経て自分の中に起こってきたことは、創造活動への渇望だった。
ここまで積み上げてきたこと、取り組んできたことを文章にしたい、何かにまとめたい、という。

僕の名前には「創」の字が使われている。「Creation」の意味だ。
この名前は、あるときまで自分に取っては十字架であり、苦しさの象徴だった。
自分にはクリエイティビティがないと思って生きてきた。

そこから、研究の道に進み、その後、教材を開発する仕事をはじめ、自分にはクリエイティビティがある、と言えるようになってきた。
あるいはクリエイティビティを育ててきた自負がある。

設計図があって、その通りになにかを生成するプロセスに”作る”という漢字を当てるおしたら、何もないところに、指針が何もない中で新たな何かを生成することに”創る”という漢字を当てたいと思っていた。

しかしどうやらその先があるようだ。
生成する営み自体の正解の”ない”性ではなく、何をつくるのか、どうしてつくるのか、というその意図や願いが、自分から生まれているということ、あるいは「自分を賭して、自分の人生に挑戦する」ための生成活動にこそ”創る”はふさわしいのかもしれない(その観点に立つとこれまでの創るはなんとなく”つくる”な感じ。)。

そんな日々が、我が子の生存本能に照らされ、「お前は何がしたいのか?」という問いをド直球でもらった自分に湧き上がってきたことだ。
そんなことを思ったら、育休期間に読もうと大人買いした漫画『左利きのエレン』に時折でてくる重要なメッセージの「描けよ」が、「書けよ」にさえ見えてくる笑


後から知ったのだが、丹田のもっと下の方は、ヒンドゥー教の世界では第一チャクラ、大地のエネルギーとつながり、生命力の源となるチャクラがある。
目の前の我が子の「生きるエネルギー」に反応して、自分の「生きるエネルギー」が感応してたんだと感じる。


素晴らしき哉、子育て、我が子、愛。

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