教育社会学者の育休日記♯14 転ばぬ先の杖が成立しない育児

育児にはトラブルもつきものというか、大人では大したことないことも幼い子どもにはとてつもないインパクト(があるよう)に思えてその一つ一つに一喜一憂しながら、ざわざわしながら親が育てられていくものなんだと、日々思う。


我が子をお風呂に入れる際、浴槽の蓋にをしてそこにタオルをしいて、そのタオルの上で我が子の服を脱がせてお風呂に入れ、お風呂あがりはそこで服を着させる。

お風呂上がりには意外にやることがおおい。
身体をふくのはもちろん、全身を丁寧に保湿していく。
乳幼児湿疹が出たしている顔や首周りは入念にクリームを塗って、おむつをして、たん肌着、肌着(着させる前にもちろん重ねておく)を着させる。


そんなことをしてるなかで事件は起きた。
風呂上がり、湯冷めしないように焦ってしまうのも要因だったのだろう。
丁寧に身体を保湿すべくクリームを塗っていたら浴槽の蓋がずれて浴槽にすべりおちる、我が子も地滑りのようにすべり落ちて、頭を打つ。
大慌てで抱き上げるも泣き喚く我が子。
しっかり抱きしめて、服を着させながらも、いろんなことが頭をよぎる。
「新生児 頭ぶつける 病院」
などと検索をしながら、皆さんの事例を見ながら、何をチェックすべきか、我々にできることは何か、二人で慌てながら調べる。

赤ちゃんの頭をぶつける案件はままあることを認識するとともに、痙攣や吐き戻しがないことに安堵。
ただいつになくすっと眠りにつく我が子を見ながら心配が募る。


そこから妻は何も手につかなくなる。
こちらも大いなる心配と不安をもちながらも、自分も落ちていくのはまずいと思い平静を装いながら「きっと大丈夫さ」と、声をかけながら夕飯の準備に。
妻は寝ている我が子につきっきり。
「目を覚まして元気に泣いて、おっぱいを飲まないと何もできない」と妻。
その気持ちは痛いほどよくわかる。

結果的には、目を覚まし、元気に泣いて、おっぱいをぐびぐび飲んで、ひと安心。
ただ、頭を打つということはもちろん、何かが起きると、それが何につながるのか、という不安は肥大化する。身の安全はもちろん、何かの後遺症やら影響やらはどうなのか、とか。我が子の将来をふと想像し、このとき頭をぶつけたことがなければ、、、なんて、なる未来を思ったりして、とてつもなく不安になり、居ても立っても居られなくなる。

そして、もう二度とこんなことのないように、と心に決める。
がしかし、また起きてしまったりもする。


人一人育てるということはそれはそれは大きなことだ。
命を預かっている、という感覚は常にあるが、一方で、可愛い我が子との時間に没頭して、楽しさや嬉しさやわくわくが気持ちの大半を占めることも常だ。そうしたなかで、危機管理的な意識を同居させ続けるのは案外簡単ではない。
ヒヤリハッとが大事になる前に、「常にそのことを意識する」以外のソリューションが必要なのだとおもう。
緩やかな気持ちでいたとしても、大事にならない、そんな準備が。

、、、難しい。

でも考えていこうと思う。
愛する我が子のために。

一つ一つ、親も成長していくからね。

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