教育社会学者の育休日記♯9 イベントと日常の狭間の気づき「仕事とはなんて楽なことだったのだろう、、、」

育児という営みに父として関わる日々は、自身の存在意義や効力感に意識を向ける日々にもなる。


育休開始まで10日を切ってからも、仕事はなかなか落ち着かず、むしろ休みに入るまでの駆け込みでいろんな仕事が発生したり、自分も気になり事が増えて、仕事をなかなか手放せなかったり、あるいは新しく手を伸ばしてしまったりする。

こんなことを続けていて本当に休みに入れるのだろうかという懸念が頭をもたげつつ、家にいながらも日中はパソコンを開いたり、時には一日中シェアオフィスで仕事をしたり。


そんな日も、お風呂を入れるというイベントのために夕方には帰ってくる。
その時に感じるのだ、あ、これはまだイベントだ、と。


妻と我が子にとっては日常とかしている子育て、育児。
妻と我が子との関係は、側から見てても日に日に豊かになり、変化していく。
妻も我が子にたくさん話しかける。我が子の機微や変化にも気づくようになっていく。


一方自分は、我が子と共にできる時間は間が空くことが常、自宅に戻って一日、二日過ごして妻の実家に戻り久々に我が子と対面、なんてことも何日かに一回はある。
お風呂と夜19:00〜24:00前後の夜担当を担い、その間のおむつ交換や、寝かしつけ、そして授乳を担う。もちろんこれも育児なのだが、生活としてそれが完全にインクルードされているというわけでもない。

そんなことを思っている夜に、なかなか寝付かない我が子と格闘がはじまる。相変わらず、すべきことがすっとできることは少ない。うまくいかない時は、何やってもうまくいかない。そうこうしているうちに泣き声は大きくなる。。。

そのなかで「待って、、これいつまで続くの?」という気持ちがふつふつと湧き上がる。

そしてそのあとで、「え、妻はこれずっとやってんの、、、?」と、なる。
圧倒的な無力感を抱える父。。。

「仕事って、、、死ぬほど楽じゃん。。。」と、いう言葉が自然と口から漏れる。


そして、そんな日の翌日は運悪く(運良く?)一日中仕事だったりして。仕事中は仕事に集中、捗る捗る笑。それでも早く切り上げて、育児に参画しようとする。
しかし、そんな申し訳なさを抱えた育児は、ことごとくうまくいかないのだ。きっと我が子にはしっかりと伝わってしまっているのだ。。。


妻がすっと我が子を抱き上げてあやす。
にこにこしはじめる我が子。
そして気づいたら寝ている。


仕事では感じることのない圧倒的な無力感。

自分は子育てというプロジェクトに何を貢献できているのだろう、と、夜中我が子を眺めながら思う。
妻はよくやってくれてる、と言葉をかけてくれる。「いやいや、、、」と自分。


全然関係ないのに職場での人間関係にもなんだか意識が向く笑
そして、自分が存在意義や、自己効力感を感じないことに強い不安を覚える人間であることにも気づく。


子育ては、自分の価値観にも気づかせてくれるのだ。

頑張るぞー!!

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