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けしょう  モジュラーシンセサイザー茶会

ひとときの「けしょう」体験を

 東京は清澄白河に90年佇む清州寮の一室にて、モジュラーシンセサイザーの音色を流し、茶会を開きます。
 増減する電子音の拡張に身を委ねながら、60分の時を重ねて、揺蕩う空間を楽しみます。
 茶会は、亭主と客人共に、生まれ変わる工程をもっています。
 都会の片隅で、酒・菓子・茶をもって、「けしょう」しましょう。


けしょうとは

 けしょうとは、「化生」と書き、「いったん形成された生物の器官が、全く異なった形状・機能のものに変わること」を意味します。
 仏教用語では、「四生 (ししょう) の一。母胎や卵などからでなくて、忽然 (こつぜん) として生まれるもの」を意味するとされます。
 茶会は、一見文化的側面を多く持つものであると認知されていますが、基本となるのは五感を基礎とした「飲食様式」です。
 会の構造の中心となる「茶」を喫むことで、体内変化を促し、終わる頃には別の肉体へと変容して会場を後にします。
 今回は、酒・菓子・茶と、一度限りの演奏をもって、「けしょう」体験を感じて頂きます。
 どんなものに「けしょう」するかは、貴方次第。


環境としての「音」

 以前から、私は茶の湯というものには、「音」が非常に重要な要素を占めていると感じてきました。
 基本は静寂や沈黙を好む茶の湯の世界ですが、だからといって、ただ「無音」にしてしまうと、かえって外部の音が、たくさん飛び込んできてしまい、騒がしい環境となります。
 静寂を表すためには、敢えて静寂を誘引するための音を発します。
 水の滴る音や、茶杓で茶碗を叩く音、足袋が畳に擦れる音、衣擦れの音、など茶の湯にはもともと多くの音が散りばめられています。
 しかしながら、もちろん静寂や沈黙は良いものだと思いますが、より深く思えば、求められるのは「心の静寂や沈黙」なのではないかと考えます。
 つまりは、現代においては「音楽」や「楽器」などから発せられる「音」を茶室に用いることで、より今の我々に適した「静寂や沈黙」が生まれるのではないかと。
 茶の湯と言うと、何故か歴史回帰に重点が置かれ、古き智慧を古いままに使おうとする傾向がありますが、古き智慧を新たな方法で顕現することも、今を生きる我々の役割なのではないかと思っています。
 無論、既に電子音と共に茶を喫する茶会は開かれておりますが、今回は亭主である私と、演奏をして頂くTappei  Yamadaさんとの化学反応もお楽しみ頂けたら幸いです。

 今回は既に満席であるため告知のみとなりますが、今後も引き続き開催していく所存でございますので、皆様のご参加をお待ち申し上げます。

武井 宗道


概要

・開催日 令和五年霜月廿三日 十九時半〜廿時半
・場所  清州寮
・会費  五阡円

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