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「器用貧乏」も極めることで強みになる


『器用貧乏』
器用になんでもできる反面、かえって大成しないこと。 何でもできるからこそ、一つのことを極められず大成しないとも言われる。


昔から、ある程度なんでも器用にこなせた。

かといって、1番になったり、”その道のプロ”までいったことはまだない。大体8割くらいできるようになったらそれ以上追求しきれない。ある程度できたら満足してしまう。

もちろん、初めから突き詰めることを諦めるつもりで取り組むことはない。いつも何に対してもまずは100%で取り組む。だからこそ、”ある程度”までいくスピードが人よりも早い。

好奇心が人よりもあって、「新しいことを学びたい、まだ知らないことを知りたい。新しい価値観に触れたい。」という思いは、心の底から溢れてくるし、その対象に出会えた時、とんでもなくエネルギーが湧いてくる。

自分はそろそろ器用貧乏の代表と言っていいと思う。

でも全然役に立たないなーと思っていた。そもそも器用貧乏な自分が好きではなかった。そんな自分はどのように生きていけばいいのか。どんな環境なら自分の能力を発揮できるのか。

色々考えていた。




社会で活躍するためには、1つの能力が突出してたり、〇〇=この人!ってなる方が目立つし分かりやすいし、理解されやすい。そんな人に憧れもある。

でも1つの枠にハマろうとすると自分の中で、無意識にブレーキがかかる。

1つだけ、「あなたは何ができるか」って聞かれたら答えられない。自分は、あれもこれも、そういえばあんなこともできる。武器がたくさんある中で、「この状況ならこれとこれとこれを使おう」みたいなことはできる。

自分はそれでいいのかなと思えるようになった。
自分はそれが強みなのかなとも思えるようになった。

その結果、いま異なるジャンルの仕事に沢山関わらせてもらっている。

パーソナルトレーナー、カフェの店員、動画編集、ホームページ作成、サッカー選手、新規事業立ち上げ、などなど

これまではどこか1つの会社に属してそれだけを頑張っていたけど、そんな日常を手放し、自分を解放してあげるといつの間にかこんなことになっていた。自然と引き寄せていた。

周りは、「1つのことを突き詰めた方がいいよ!」とか、「結局何がしたいの?」とか色々言ってくるけど、もう1つに限定しなくてもいい時代ではないだろうか。





こう思えたのもこれまで本当にいろんな環境に身を置き、経験してこれたからだと思っている。

新しい環境に飛び込むと、価値観の違いや文化の違いを感じることで、逆に自分の考えに向き合うきっかけになった。新しいことを学んだり、気づきがある一方で嫌な思いをしたり、絶望することもあった。でも振り返ってみると無駄な経験はなかったと思う。

それを繰り返していくうちに、これからどのように生きていきたいのかも、少しずつだが見えてきたような気がする。

大切なのは自分のことをよく理解し、受け入れ、認めること。そして心地いい場所、成長できる環境に自分で選んで身を置くこと。

それが社会で理解されにくくとも、目に見えづらくとも、関係ない。

なかったら自分で作ればいい。

自分という人間に関わってくれる人
一緒に仕事をしたいと言ってくれる人
依頼してくれる人

自分を必要としてくれる人がいるのなら、その1人ひとりに自分の持っている能力の100%を注いで取り組んでいきたいと思う。

器用貧乏という弱みだと思っていたことを強みに変えていく。そういうことを認知転換というらしい。

まぁでも器用貧乏な人は、気をつけないと何でも屋さんになってしまうので、自分なりの基準、人生のビジョンと柔軟性は持っておきたい。


“器用貧乏さ”を武器に、これからも歩みを進めていく


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