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【ポケモン】初代環境のあれこれ【考察】

※この記事では初代の対戦環境ではなく、当時のゲーム情勢やプレイヤー事情などを書いている。

ポケモンは1996年2月に発売し、先月2020年2月に25周年を迎えた。

96年生まれの場合、ゲームとしてのポケモンに触れるのは早くても金銀。

ということで当時の状況を筆者が私見まみれで紹介していく


1.ポケモン赤・緑発売

wikiなんどにも書かれているが、実は発売した当初はそんなに話題にならなかった。

というのもこの時期というのはプレステ1が発売して1年以上経った時期かつ、セガサターン全盛期でありグラフィックがどんどん進化していく中で携帯ゲーム機の白黒のみというのは評価の外だった。

また、プレイステーション開発・発売の前のゴタゴタで任天堂がゲーム会社に喧嘩を売りまくっていたというのも関係している。

ただご時世的に今も続く不況に突入したのも相まって64 プレステ SSをポンと買ってくれる あるいは購入するというのはそれまでの時代に比べると敷居が高かった。というのも留意してほしい


2.スーパーファミコンが安くなるクーポン券つき

ポケモンの発売よりも前の話になるがスーパーファミコンの普及率をあげるイベントがあった。

筆者と同世代かそれ以上ならこのキャッチフレーズは覚えているかと思う。

星のカービィスーパーデラックス スーパードンキーコング2 マリオRPGといったゲーム史に残る作品に付属していた。

これはプレステやセガサターンに対して危機感を覚えた任天堂の苦肉の策ではあったが(サテラビューやバーチャルボーイが大失敗したのもある)、結果ゲームとゲーム機の売上を伸ばすことに成功した。

しかし、プレステの台頭であったり64の発売であったりを考えるとこの時買ったはいいものの、ソフトは不足しているというジレンマも招いていた。

今でこそセガは負け組と言われているが、実はセガサターンはニンテンドー64より売れていたりする


3.スーパーゲームボーイ

クーポン券とソフトでスーファミを買ったはいいが、当時のゲームソフトは今より高いことが多い。

80年代に比べて懐事情が厳しくなったのは確かではあるのだが、中古で買うのに今よりかなり抵抗があった。特にゲームカセットなんて中古だとどんくらい動くかわかったものじゃない。

そこで目をつけられたのがスーパーゲームボーイという機材である。奇しくもプレステと同じ94年発売

これはどういうものかというと、スーファミに差し込んでさらにスーパーゲームボーイにゲームボーイソフトを挿すと、ゲームボーイソフトがスーファミで遊べるというもの。

つまり擬似的ではあるが、ゲームボーイ用タイトルがそのままスーファミ用のタイトルにもなったのである。おまけにゲームボーイソフトはスーファミソフトよりも安いことが多く新品での入手の敷居が低かった。

また、元々ゲームボーイを所持していた人がゲームボーイソフトを遊ぶ上で乾電池の残量を気にすることなく遊べるという需要も満たすことが出来た。

スーパーゲームボーイとゲームボーイソフトの新作をセットで買ってくるお父さんも多かったとか

ちなみに初期版は一部のゲームの速度が速くなるというものがあって、時短でプレイできるという利点があったりなかったりした。※後に発売のスーパーゲームボーイ2では解消


4.スーパーマリオスタジアム 64マリオスタジアム

さて、このスーパーゲームボーイを広める要因となったのはこのタイトルにあるテレビ番組である。※テレビ東京系列

テレビ東京系列で木曜日の18時30分から放送されていたこの番組。素人の小学生の4チームにゲームクイズをさせて、上位2組でゲームで決戦というスタイルだった。

この他64タイトルでウェーブレースによるタイマン マリオサーキット64でのタイムアタックなどの企画がある中

ポケモンによる対戦が企画された。

・レベルは50~55
・ミュウ、ミュウツー禁止
・6匹を選び、対戦直前に3匹を選出
・3匹のポケモンの下1桁の合計数値が5になるようにする(51・51・52 50・50・55みたいな感じ)
2匹以上の眠り、凍りを禁止
・最後の1匹同士でじばく、だいばくはつを行った場合行ったプレイヤーの敗退

だいたいこんな感じ

で、この企画最初の最初こそゲームボーイを使って行われていたが、特別仕様の(スーパーゲームボーイ同士を接続できる)スーパーゲームボーイにて行われポケモンの存在以上に認知に貢献したとされる。


5.実はテレビで個体値・努力値が言われていた

前述したスーパーマリオスタジアム及び64マリオスタジアムにおいて

・ポケモンはレベルが同じでも違うステータスになる。

・倒すポケモンによってステータスの成長度合いが変わる。

・ふしぎな飴をあげるより、倒してレベルをあげたほうがステータスが伸びる

同企画ポケモンリーグにおいても参加者がケンタロスの厳選を行っていたとされている。

確かにインターネットは今現在どころか00年代と比べても未発達・未普及であったが、今の視点ほど情報の普及が低かったわけではない。

また、前述のスーパーマリオスタジアムと後継の64マリオスタジアムのほかに火曜日の朝(後に土曜日の朝、そして深夜)に放送されていたゲーム王国でも意外とゲーム情報があった(これは非任天堂のゲーム中心だけど)。

さらに今でこそ地位が低下しているが、ゲーム系雑誌やゲーム攻略本もかなり種類があった(質が良かったとは言えないが)。

そしてネット普及どころかパソコン普及は確かに少なかったが、まったく普及してないわけではない。1クラスに1人、いやそれどころか兄弟姉妹に親や親戚に1人使える人がいればそれが広まっていく(公式が情報出す前にセレビィが判明したりもあった)。

確かに今に比べたらハードルは高いが皆無というわけでなく。

ポケモンに関しては地上波夕方という正義があったので言うほど・・・という感じだったりする。


面接時に「遊ぶ金欲しさに」と言いたい人生だった。