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アナログ盤からCDへの移行で忘れかけた懐かしい曲たち

昔よく聞いたあの頃の懐かしい歌の向こう側に


 年寄りたちが古い演歌ばかり聞いたり、毎度毎度落ちが一緒の時代劇ばかり見たり、また俳優さんが亡くなったよ寂しいねなんて言っていたり、昔の話ばかり口にするのを見ていて、もっと前を向いていないと老いてしまうよ、元気モリモリの80歳のオジィちゃんだってテレビで見かけるよ。なんて日々思っていた。
 最近海外の有名ギターリストが亡くなったり、有名芸能人が亡くなったり、追悼の思いで昔懐かしい曲を引っ張り出してきて聴いてみたり、音楽配信で検索して通勤で聴いてみたりしているうちに、ふと、数十年前の記憶がどんどんと甦り、頭の中は十代の頃の楽しくて切ない時代の空間が広がっている。その勢いで昔聴いていた懐かしい歌手やバンドの曲を配信で検索してみるとまだまだ現役で活躍されていて、その歌声も、数十年の歴史を感じさせる、優しくて貫禄が増し、当時よりももっと説得力のある歌声だったりすることも多かったりする。
 当時は樹脂板のLPレコードで所有していたから、自分の部屋で夜な夜なヘッドホンで聴くか、カセットテープにダビングしてカセットウォークマンで聴くことが多かった。自分の好きな曲を集めて「マイベストアルバム」なんていうカセットテープを作り、好きな女の子にプレゼントしちゃう時代だった。そんなテープを好きな女の子から貰っておかげでその人に恋をしそうになったが、そのアーティストを知って欲しかった普及活動であり、僕に一切の好意を持っていないなんて当時は1ミリも感じることができない好青年だった。という時代なのでその後音源はCDに代わり、僕の中でCDに買い替えたアーティストとそのタイミングで手元には残らなかったアーティストに分かれた。

ふと耳に入ってきた懐かしい曲の
イントロから歌詞から当時の気持ちが蘇る

 音楽配信で色々検索しているともう何十年も聴いていなかった、当時大好きだった山下久美子のつい最近のLIVEアルバムが出てきた。もう61歳になられ当時のような抜ける甲高い声は影を落としていたけれど、優しくて深くて、もっと甘い歌声で、当時好きだったバラード曲「時代遅れの恋心」が僕を優しく包んでくれた。また当時、一方的に好きだった後輩の女性とは良く飲みに行き、どんな大人になりたいとか、どんな仕事をしたいと将来の夢を語り合い、ちょっとお洒落なバーでちょっとお洒落なお酒を飲んでいた。その頃の山下久美子も憧れの大人の女性像で、バーでドライマティーニを飲みながら少し酒焼けした声でハスキーに歌う姿がかっこよかった。今僕の頭の中の妄想シーンではその女性と山下久美子の歌の世界観がダブって、思い出がさらに美しさに磨きをかけている。そして、物の考え方、価値観、大切に思うもの達も一緒に感情とともに目覚めてきて、ちょっと僕の中で現実と中二病が同居して、複雑な気持ちで過ごす日々が展開している。そして何十年ぶりに僕の夢の中で、同じ様に年齢を重ねた彼女が姿を現し、綺麗に年齢を重ねた年齢にふさわしい姿で、僕の妄想した姿で登場し、胸をキュンキュンさせながら、真っ赤に色づいた紅葉の並木をiphoneとともに満員電車に乗り込んだ。

まるでタイムマシーンのように
同時期の様々なものが同時に現れる

 10年ほど前にちょうど浜田麻里がヘビーメタルの王道に返り咲いてる様子がネットやライブで話題になり、僕もライブハウスへ出かけ、当時同世代のバンドのCDを根こそぎ聞き入って、そして僕も久しぶりにギターをとウィンドショッピングというか、楽器通販サイトを徘徊してみたり、その当時の僕の周辺の世界観が蘇って、SNSやネット検索で当時を振り返ってみたり、それこそ何10年ぶりの、すっかり生活環境が異なる友人と再会してみたりもした。これらの時代もやっぱり音楽と自分の世界が僕の頭の中でリンクしていて、どれもこれも一気に頭の中に解凍されてしまった。
 そして今回も、たまたま耳にした山下久美子のLIVE音源から当時好きだった女性の面影や、お店、切ない思いや、その頃見聞きした風景が蘇って、そして検索に出てくる記事を見ているとまた、山下久美子も記念アルバムを発売したり、精力的に活動しているタイミングで僕の耳にも活躍ぶりが届いていたようだ。
 時代遅れの遊園地のように、時代遅れの中年のおっさんが、若い頃の切ない気分に浸りながら、当時の曲を一生懸命に聴いてる姿は、冒頭に触れたお年寄り達が、懐かしい演歌を夜な夜なカラオケで熱唱している姿と重なってきて、ちょっと自分自身でも笑ってしまう。これを老化と呼ぶのか、熟成と呼ぶのか、ひとことで戯論と呼び捨てては欲しくない感情だったりする。

音楽配信は音楽の使い捨てなのか
間口の広い入り口なのか

 当時のLP盤やらCDやらも兎にも角にも学生や新社会人のお小遣いには高価であった。大好きなミュージシャンのアルバムを年に何枚買えるのか、発売が重なると誰のアルバムを優先的に予約を入れるのか。これがかなりの大切な問題だった。そこでレンタルレコードなるお店があり、レンタルしてきたLP盤をカセットテープに落としてウォークマンで聴く習慣が登場した。レンタルで樹脂板なため、なかなか針を落とすのにも緊張し、中には人気のあるアルバムでは擦り傷だらけのレンタル盤もよくあり、針飛びを起こしてまともに再生できないことも稀にあった。
 それから動画配信サイトのデーターを違法にダウンロードするサービスや、定額制音楽配信サービスが登場し、より音楽を聴く環境の敷居が下がり、音楽が生活の中に溶け込み、そして、アルバムデビューや、メジャーデビューする前に、消費され、手垢がつき、そして忘れ去られる、いわゆる音楽の消費活動がちょっと危惧される様になる。
 けれども音楽の敷居が低くなることで、音楽に触れる機会が圧倒的に増え、知らないアーティストに出会い、聴くことが少ない違うジャンルの音楽にも触れられ、人生に彩りを与えてくれる大切な自分の1曲に出会えるチャンスも増えることにもなる。僕が昔、レンタルレコード店でジャケット買いならぬ、ジャケットレンタルしてすっかり虜になるミュージシャンやバンドと出会った様に、色んな音楽と出会って欲しいとも思う。ましてや、当時はやりの音楽で興味もなく、食わず嫌いだったアーティストの作品を、今更ながら音楽配信で聴いてみて、今聴くと、とてもすんなり耳に入ってきて、今ならすっかりファンになってしまう曲も少なくなかったりもする。
 まぁ、良くも悪くも、衣食住にはならない音楽ではあるけど、戦争を止めたり、平和を願ったり、国境を超えたり、時代を超えたり、文化を超えたり、宗教だって超えたり。人生の大切なスパイスであることには変わりなくて、ドッポリと音楽に入り込んでしまう人も、流行りの曲を口ずさむ程度の人も、多かれ少なかれ、音楽のある生活はきっと幸せな生活なんだろうと思う。

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