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  1. 《神を裏切り、追放されたという罪悪感にたえきれずに自我がこの世をつくった》という大前提があります。

  2. ところが、真実は神の国でやすらかにいるのです。それは神の子ひとりの心です。

  3. 心は物質的にも場所も特定できない、人には考えられないところにあります。

  4. その心が自我という幻想を派生させ、自我が宇宙を形つくりました。

  5. それは、神の国でやすらかにいる心の中で夢を見ているのです。

  6. この宇宙は夢、つまり実在しないのです。

  7. 私たちがふだん体験する喜びや苦しみ、愛や恐れは、この夢の中での一時的な経験です。

  8. しかし、この夢の経験は、私たちが真実の自己をみつける手助けとなるのです。

  9. 夢の中での困難や挑戦は、私たちが真の愛や平和を求めて体験するみちしるべです。

  10. 真の愛や平和を体験するのは、自我の思考や信念を離して、自他一体の意識がひつようです。

  11. この意識で、夢の中での経験をこえて、真実の自己との統一を体験することができます。

与えることは受け取ること

  1. 自他一体の理は、私たちはひとりひとりバラバラでなくて、実際にはすべてが一つの大きな全体として結びついていること。

  2. 私たちが他者に与えるものが、実際には自分自身にも影響があります。

  3. 例えば、だれかに愛や喜びを与えると、その愛や喜びは瞬時に自分自身にも返ってきます。

  4. 逆に、他者に対して怒りや恨みを感じると、その感情は自分自身の心の平和を乱すことになります。

  5. それは神の国でやすらいでいる神の子は、たったひとりだから。

  6. 神の子がひとりで何役もしている夢を、みているだけです。

  7. つまり、この宇宙はたったひとりの神の子がつくった幻・夢の世界です。(でもこれは理解しづらいでしょう。誰もがこの世に実在していると信じて実感していますから・・・ )

もちろん奇跡講座を押し売りしません

私は整体・整骨でも働いています。以前はリラクゼーションを自営してホテルや民宿に営業まわりしていました。
泊まり客から、「リラクゼーション、施術を頼みます」とホテルフロントに電話がかかる。ホテルから私に「お客様です、出張願います」と電話あり。

そこでイソイソと準備してお部屋に伺います。
観光地なので初めて会うお客さんがほとんど。
そんな状況でお部屋に入る時は、私も緊張するがお客さんは、もっと緊張しているでしょう。

なので、私がまず「誰でどんな状態であっても、お客さんを受け入れる」と決めてドアをノックします。
するとお客さんも、私を初見であっても受け入れてくださいます。
パジャマや寝巻き姿であっても、招き入れてくれるのです。
しかも、ほぼ全身に触れることもOK。

中には強面で身体のゴツいお客さんにも会いましたが、はじめて数分でグッスリお眠り。まるで赤ちゃんのような寝姿でした。

またお部屋にはいってすぐに「これ」と、たたまれたお金を渡されたこともありました。 てっきりお代金と思いきや《チップ》をいただきました。
これは私が与えた以上に受け取ったような瞬間です。

いま整骨院で患者さんにたいするとき、身体を痛めた、肩や腰がゴリゴリに固まって辛いという人たちです。
私がまず、力を抜いてリラックスした状態で接すること。
相手のかたさ、つらさに同調してはいけません。また対抗しても喧嘩してもだめです。

実際に押すのはつよくなるときもありますが、それは氷を溶かすお湯のようなイメージで押しているのです。
もちろん言葉使いもやわらかく、ゆっくりしたペースではなします。
患者さんから「先生、いい声してるね」といわれるくらいに。

相手の無礼・失礼を責めるのでなく
自分の無礼・失礼に気づくのが先にすることですね。

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