家庭環境

家庭環境の壊滅的な知り合いが余りにも多い。例を挙げると、祖母が死産させてしまった子供を押し入れに隠したらミイラ化したためそのまま何年も放置していたとか、知的障害者の伯父と母が居間で堂々とセックスをしていたとか、震災から避難してきた祖父に強姦されたとか、血の繋がらない父親に強姦されたとか、新興宗教とか、反ワクチンとか、兎にも角にも家庭の数だけ地獄のあることが窺える。書いていて気付いたが地獄とは主に性欲に起因して顕現するのかもしれない。

幸いなことに我が家は性欲による問題の起きることはなかったが、鬱病で無職の父親が酒に酔ってあらゆる物を破壊したり、同じく無職の伯母がスピリチュアルに傾倒したり、ボケた祖母が壁に排泄物を塗りたくったり、ボケた祖父が行方不明になったり、全てを諦めた母が記憶障害になったりと決して平和な環境ではなかった。諸々が片付いた今では良い経験だったとすら思えるが、やはり子供の時分にはたまったものではない。

家庭とは閉じた空間であり、子供にとってそれは世界の全てである。その内部でどれだけ異常な事態(ここでは相対主義的観点は捨て、敢えて異常と断言する)が起きていようと、多くの場合子供はそれが異常であることに気付けないまま成長してしまう。そして大人になって外の世界を知り、「正常」の何たるかを理解する頃には、「異常」がもはや修正不可能な程に内面化されてしまっているのである。

理不尽な目に遭うことそれ自体は、実のところさほど恐ろしいものではない。無論それに伴う苦痛を矮小化するつもりはないが、問題なのは、閉じた感性のために理不尽を理不尽と認識できなくなることだ。「どうして私がこんな目に」という不満すら抱けなくなってしまった人間は、あらゆる衝突を避けて全てを受け入れるようになる。家庭内の表面的な理不尽が解消されようが、それどころか子供が成長し親元を離れようが、心身に刻み込まれた価値観はそう簡単に覆せるものではないのである。

とはいえ毒親や親ガチャといった不穏な単語が頻繁にトレンド入りする昨今において、子供が自身の置かれた状況を客観視することは以前に比べ容易になっているのかもしれない。家庭などというものは所詮血の繋がっているだけの(或いは繋がっていない場合もあるだろう)ただの他人との共同体に過ぎず、そんなものが世界の全てであろうはずもない。おそらく人間が人間として生きる以上、家庭環境に苦しむ子供のいなくなることはありえないが、彼らが少しでも救われることを切に願うばかりである。

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