曖昧に生きていたら四半世紀が過ぎていた。

私は生来何かひとつのものに夢中になる、努力するといったことを怠ってきた。これは私の生まれ持った性質であるのか、環境によるものなのか、或いは病気にその原因を見出すこともできるかもしれないが、いずれにせよ現に自堕落で無気力な一人の人間が存在しているという結果に変わりはない。必要なのはその過程を振り返ることではなく、将来の展望を描くことである。いい加減に身の振り方を考えなければならないと切実に感じているが、同時にこの人生に、ひいてはこの世界に真面目に取り合うだけの価値があるのかという疑問をも抱いている。今日を生きていられれば、今が楽しければいいのではないか。現にこれまでもそうしてきたし、やってこれたではないか。そうやって向き合いたくないものから目を背けながらここまで生きてしまったが、明日からもそれが通用するという保証はどこにもない。

ところで、私は気に入った鞄があれば基本的にボロボロになるまで使っている。それどころか自分で革を貼り付けたり、金具を新調したりしながら、最早原型を留めないほどに修繕を重ねることもあるのだが、やはり素人にできることなどたかが知れていて、こちらを補強すれば次はあちらが駄目になる、というようなことを繰り返している。壊れた部分をありあわせで繋ぎ止め、騙し騙し使っていくのは手頃ではあるが、いつか必ず限界が来るものだ。素直にプロに修理を依頼するか、いっそ本気で鞄の修理を学ぶのもいいだろう。そうでなければ、使えなくなった鞄を捨てて、新しいものに切り替えるしかないのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?