結論から言うと遭難しかけた。

今日は市役所に行く用事があったので、地元(といっても電車で気軽に行ける距離ではあるのだが)に戻っていた。さっさと手続きを済ませて江ノ島にでも行こうと考えていたところ、どうしても一旦実家に帰らなければならない都合ができてしまった。

そうなると江ノ島に行く時間も怪しくなってくるので、実家からすぐの山でハイキングでもするか、と考え直した。既に夕方ではあったが夏至の翌日ということもあり、暗くなる前には山を登って下りられるだろうと踏んだ。また私は小さい頃からその山に慣れ親しんでいるため、最悪暗くなったところで直ぐに帰れるだろうと高を括っていた。

山を登り始める。重ねて言うが慣れ親しんだ山である。久々に訪れたという新鮮さはあれど、勝手知ったる道を進む。山の奥に龍を祀った小さな神社があり、そこを目的地とした。しかし慣れが災いしたのだろう。その神社は私の記憶よりも余程遠くにあったらしい。元々は神社の更に奥に進んで人里に下り、そこからバスに乗って帰ろうと思っていた。つまり来た道を戻るつもりは最初から無かったのだが、これが良くなかった。

ある程度歩いても神社が見えてこない。見覚えのある尾根なので、道を間違えているわけではなさそうだ。しかしこの調子では真っ暗になってしまう。ボチボチ引き返そうかと考えていたところ、足に違和感を覚えた。

違和感の正体は蛭だった。それも一匹や二匹という可愛いものではない。夥しい数の蛭が私の足を、靴下を、VANSのブーツスニーカーの隙間を這い摺り回っていた。

私は昔から登山や渓流釣りを好んでおり、蛭をはじめとした虫などには慣れていた。元々標高の高い山にしかいなかったヤマビルが、近年この辺りに増えてきたということも知っていた。しかしこれ程とは思ってもいなかった。

当初私は冷静だった。定石通りにライターで炙って一匹ずつ剥がしていく作業を行おうとした。片足立ちになり、浮いた方を裸足にして靴下の表裏を確認する。ハッキリ覚えているがこのとき右足の靴下には4匹の蛭が付いていた。これを剥がして靴下を履き直す。今度は靴を履き直す前に内部を確認すると、目視できるだけで2匹の蛭がいた。私のブーツスニーカーは部品の多い作りになっている。目に見えない隙間にも蛭が潜り込んでいるだろうことは容易に想像できた。これを丁寧に確認し、取り除いている間にも、血に飢えた無数の蛭が頭を揺らしながら、地に着いた左足に這い寄ってくるのが見える。

これは手に負えないぞ、と思った。悪いことに、山には"一旦落ち着く"場所が存在しないのである。常に足を動かしていなければ蛭にやられるが、足を止めなければ蛭を剥がせない。そうこうしている内に辺りはどんどん暗くなっていく。

一刻も早く山を下りるべきだと判断し、確認もそこそこに靴を履き直す。案の定、靴の隙間から這い出てきた無数の蛭が(これは今にして思えばそのほとんどが幻覚であったのかもしれない)足に噛み付くのがわかる。筆舌に尽くし難い不快感が襲うが、今は山を下りるのが最優先である。しかしこのとき私は既に冷静さを欠いていた。素直に来た道を戻ればいいものを、本能的に(このとき来た道は登り坂で、戻ることに心理的負担があった)、また奥へ行けば人里に下りられるという経験を拠り所に、前へ前へと下っていってしまったのだ。

ここからはもうドツボである。もはや確認することも敵わないが、足に纏わり付く無数の蛭の不快感。見る間に暗くなっていく山道。これはもう、来た道を戻らなければ帰れない。そう悟って振り返った先には、来た道も分からぬほどの暗闇が広がっていた。

途方に暮れたいが、立ち止まれば更に蛭が来る。"途方に暮れる"ためには、それだけの余裕が必要なのだと知った。まずい、と思った。このままでは気が狂ってしまうと思った。私は流行りの風邪で枯れた声を更に枯らせながら、大声で叫んだ。狂ってしまったのではない。狂ってしまわないように叫んだのだ。

まずは落ち着きを取り戻そうとした。「大丈夫、おれは大丈夫」と大声で唱えた。細かくは覚えていないが、「大したことじゃない」「知ってる道だから大丈夫」といった内容を自分に言い聞かせていたと思う。冷静になろうとする私を、足下の蛭の感触が絶えず妨害してくるが、叫ぶことで意識の外に追いやろうと努めた。

しかし蛭の不快感は無視できなかった。恐らく、いや明らかに実際の数以上の蛭を肌に感じた。まるで靴の内側が蛭で埋め尽くされていて、それを踏みながら歩いているかのような錯覚に陥った。そこで私は作戦を変えた。蛭の不快感を認めた上で、最も重要なことに目を向ける。即ち「気持ち悪い!!でも今はそれどころじゃない!!」と叫ぶのである。真っ暗な山道を、「気持ち悪い!!でも今はそれどころじゃない!!」と繰り返しながら駆けた。そしてこの作戦は上手くいった。逆説的ではあるが、不快感を無視せずに受け入れることで、不快感が軽減したのである。そしてこの間私は、どれだけボロボロになってもスマホと財布と家の鍵だけは失くしてはならないと常に意識していた。これも今にして思えば良い気付けとなった。

暗闇の中手探りで来た道を戻る。階段などという立派なものは存在しない。"剥き出しになり歩きやすくなった木の根"がそのまま道なのである。来た道は登りと下りを繰り返す尾根だった。暗闇での登りには恐ろしいほどの心理的負担が伴う。途中で何度も「このまま道を逸れて斜面を転がり落ちてしまった方が早いのではないか」と思ったし、お誂え向きの幻覚まで見え始めた。山には動物避けのネットが張り巡らされており、これは通常道標にもなるのだが、それが見えたために来た道を外れ、近寄ったら消えてしまう、ということが何度か起こったのだ。それが仮に本物であったとして、そもそも山道と並行する形で設置されているネットにわざわざ近寄るメリットは皆無であるのだが、そのときの私はとにかく人工物を求めていたのだろう。一度などはそこにあるはずもない展望台さえ幻視したほどだった。

騙されてはいけない、と思った。転がり落ちようとする欲求を抑えて、とにかく来た道を戻らなければならないと決意した。そうやって突き進む(戻る?)内に、また不思議なことが起こった。進むべき道が明るく、輝いて見えるのだ。それは僅かではあるが確かなものだった。その光(と言って差し支えない程度の輝き)が示す通りに歩いていくと、見覚えのある形の木の根や草木が目に入り、なるほど来た道を正しく戻れているようだと思った。しかし私は先程も幻覚に惑わされたばかりであり、そもそも進むべき道が光って見えるなど都合が良すぎると訝しんだ。途中分岐点のように見える地点で、私は敢えて光の示す先と反対の道へ下ろうとしたところ、そこには道などなく2mほど滑り落ちてしまった。どうやら光の道は、信ずるべき幻覚なのだろうと理解した。

そこからは早かった。光の示すままに進めばいいのである。尤も、私はこれを何か神秘的な、霊的な現象であるなどと結論付けるつもりはない。恐らく極限の精神状態で、暗闇の中に微かに見える道標、つまり見覚えのある木の根や草木、またそれらから成る正道の認識が、自律的であるよりもむしろ他律的なものとして知覚されたということなのだろう。とはいえ見知った小さな祠が目に入り、来た道が間違っていなかったのだと悟ったときは、しばらくその祠に向かって手を合わせたいほどの安堵に包まれた。蛭さえいなければ実際私はそうしていただろうが、面白いことに祠を見て「帰れるんだ」と安堵した途端、忘れていた足下の蛭の不快感に居ても立ってもいられなくなってしまったのである。

森林公園にある自販機の灯りが見えてくる頃には、乾いていた喉を潤すことも忘れ、一刻も早く裸足になって全ての蛭を取り除きたいという一心になっていた。実際コンクリートで舗装された道まで下りてからの私はすぐさま裸足になって歩いていたし、蛭がどれだけ付いているかもわからない靴下など見たくもないので投げ捨ててしまった。しばらく裸足で歩いては、靴を履き直し、靴の隙間から出てきた蛭に足を噛まれ、裸足になり、蛭を取り除き、靴を履き直し、靴の隙間から出てきた蛭に……ということを三度ほど繰り返す内、どうやら完全に蛭がいなくなったようだと気が付いた。道中、「まだいるのかよもォ!!」と叫んだ際には犬の散歩をしていた婦人に物凄い目で見られたし、そもそも暗い道を裸足で歩いているボロボロの私は、行き交う車に乗った人々の目にどのように映るのだろうか?と気にしないでもなかったが、人里に下りてきたという安心感の前には全てが些事であった。普段あれだけ喧しく思う蛙の合唱が、これほどまでに美しく響くものかと思った。帰って来れたのだ。

近所のスーパーに着いたのが20時頃だった。日の入りの時間から考えて、山は暗くなるのが早いということを計算に入れても、最初に蛭に気が付いてからここまで1時間強、実際に私が山を駆けていたのは3,40分程度の出来事だろう。たったそれだけの時間で、得難い思いをした。私は決して山を舐めてはいなかった。しかし実家の近所の、標高300mにも満たない小さな、何度も足を運んだことのあるこの山が、蛭と暗闇の力によってここまでの変貌を遂げるとも思っていなかった。

生きて帰れてよかった。そもそも冷静でさえいれば、そして獣に襲われさえしなければ、人里にほど近い夏の低山で死にようがないのだが、気が狂ってしまえばその限りではない。蛭の対処には自信があった。暗闇でも道を間違わない自信があった。しかしその二つが同時にやってくると、人の心はかくも脆いものだと知った。そして同時に、その心を繋ぎ止める在り方を知った。私はこのところ空手による呼吸法や、試合形式での実戦経験により並大抵のことでは動じない精神力を身に付けたと思っていたが、今回のことでより一層強固なものになったように思う。

ところで今これを書いている間に何かが脚を這う感覚があったので、また幻覚か?と思いながらも念の為確認したところ、小さなマダニを発見してしまい大暴れしている。まだまだ修行が足りないようだ。

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