無題

先日、後輩が死んだ。彼女は以前からホストに通っていて、担当に心底入れ込んでいる様子だったが、例に漏れず随分と無茶な金の使い方をしていたらしい。売り掛けが払えず追い込まれた彼女は、仲の良かった同僚の金を盗み、その日の内に自ら命を絶った。

彼女が何を思って死んだのか、何故死ななければならなかったのか、私には分からない。私は彼女と仲の良いわけではなかったし、まともに会話をしたことも数える程しかない。そんな私が彼女の死をダシに文章を書くことは、少なくとも彼女の本意ではないだろう。実際のところ、今回の事件を耳にした際の衝撃は、日常的に目にする人身事故のニュースや、著名人の訃報によるそれと大差のないものだった。

しかしだからこそ、思惟できることは多くある。ここで私にとって重要な問題は、個人の生命、その不可逆な喪失であるよりもむしろ、自殺という現象そのものに向けられる。人がビルの屋上から飛び降りるとき、首に縄をかけて足場を外すとき、目張りした風呂場で練炭に火をつけるとき、果たして彼を殺すのは、本当に彼自身なのだろうか。私の後輩は、たった百何十万の金のために命を落としたが、彼女は一体誰に殺されたのだろうか。生きている我々には知る由もない。或いは彼女自身もまた、それを理解することのないまま、永い眠りについたのかもしれない。



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