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サポートのスタイルを考える

サッカーのサポーターの応援スタイルは様々だ。
太鼓と声援、手拍子、旗…辺りは道具こそ殆どのチームで共通だけどリズムやカラー、デザインなどはそれぞれのチームで特色がある。
そしてもっと「違い」があるのが「視覚」面でのサポート、演出ではないだろうか?

最近気になることがある。
色々なスタジアムで見るペンライト、ルヴァン準決勝でのマリノスサポーターによる風船。
気になるのはその「アイテム」への批判の声。
いや、ちょっと待ってほしい。それでいいのか?
そんな視覚のサポートについて個人的に思ったこと。



僕は浦和レッズのファンだ。まぁ対外的に言うならば浦和サポ。だから「ビジュアルサポート」という言葉を使っているし、この言葉をすごく気に入っている。
ではそもそもこの「ビジュアル」とはなんなのか?

「これから視覚でのサポートをビジュアルと呼びます」とアナウンスがあった記憶はないし、自然とサポーター同士で使い始めたんだと思っている。

主には選手入場時、これから闘う選手たちに、いつもの声援、チャント以外でできることはないか?
おそらくそんな思いから始まったんだろう。

では唐突ですが

↓これはなんでしょうか?

ビジュアル?コレオ?


僕はどっちも正解だと思っている。


もしかしたらこう考えている浦和サポは僕だけかもしれないし、お読みになってる浦和サポーターから怒られるかもしれない。
でもちょっと待ってほしい。
いつからかコレオ=ビジュアルというのが当たり前になっているけれど、それはこのコレオ(人文字)
1番インパクトがあり、メッセージを伝えやすかったからに過ぎないのではないか?と考える。

デカ旗もユニ旗もあったし、風船も使った。
小っちゃい旗を使うこともある。
その中の一つがコレオ(ビジュアル)だったと。
「今日のビジュアルは人文字をやります」
こう言われたのを覚えている。人文字=コレオ。
つまり言ってしまえば、やってることはコレオはコレオ。

でも、やってることが人文字だろうが、3Dビジュアルだろうが「ビジュアルサポート」。
自分たちの力を誇示するためでも、
メディアに向けたアピールでも、
相手サポーターを嘲笑うためでもない。
選手に向けたサポートの方法。
これが浦和サポーターのこだわりではないか?

ここで冒頭の気になる部分。
ペンライトへの批判だ。
(マリノス戦では風船を嘲笑うコメントも見た)
浦和サポーターのほとんどがペンライトへ拒否反応を示している。
で、ここで思う。ペンライトの何がダメなの?と。

Xで検索してみても批判の声はめちゃくちゃ見つかるけど、具体的にダメな理由がなかなか見つからない。とにかく「ペンライト」への批判がすごいのだ。

なぜ?浮かんだ理由は2つ。
①クラブが用意した演出だから
これは浦和レッズのアイデンティティだと思っているんだけど、あくまで「サポーターが主体」となって用意したものを「サポーターが行う」から意味があるという考えが根底にあって、それをずっと続けている。クラブは「協力」してくれているだけで、けっして主導にはならない。

②スタジアム全体での「イベント」が多いから
全部を見ているわけではないけど、「選手の応援」ではなく、あくまで楽しむイベントの一つとして位置付けているクラブが多いように感じる。
これはサッカーそのものを最大のエンターテイメントと位置付けている浦和レッズというクラブと、「勝敗を決める」ということにものすごく拘っている浦和サポーターにはおそらく合わない部分。


もちろん僕も大多数の浦和サポーターと同じDNAで作られているので「なんとなく嫌」「やりたくない」という気持ちはある。
でも、それ自体を批判する気にはならない。
それは、「ビジュアルサポートとはこれだ!」
とは決めてほしくないからだ。

すなわち「ペンライト」というアイテムへの批判…いや、なんであれアイテムそのものへの安易な批判は可能性を潰すことにならない?と。

ペンライトだって浦和サポーターがやれば「ビジュアルサポート」になるかもしれない(可能性としてね)。
マリノスサポーターのやった風船だって、もっと数を増やして、アウェイ席を綺麗な3色で埋めたら「ダサ」なんて言葉は見なかったかもしれない。
(これを読んで不快に思われたマリノスサポーターの方いたら申し訳ない)

アウェイマリノス戦でペンライト演出の際、浦和サポーターからのブーイングが話題なっていた。
これは「ペンライトやめろ!」ではなく「マリノスの応援だから」ブーイングした。のだと僕は思っている。いや、それが浦和サポーターの考え方じゃない?と。

ビジュアルの元祖とも言える「紙吹雪」なんかから30年。応援は進化したし、クラブそれぞれスタイルがある。
自分たちのスタイルを信じればいいし、それを進化させていけばいい。
もちろん残していきたいものを引き継いでいきながら。

ペンライトや風船、アイテムその物への拒否反応だけで終わらず、「こうしたらビジュアルになるかも」という視点からまた新しいビジュアルが生まれるかもしれない…という意味で過剰な反応が少し気になる今日この頃のお話でした。
(浦和でもペンライトやろうぜ!という話ではないです。念の為。)

 


長々と書いた割には…な感じもしますが、最後までお読みいただきありがとうございました!


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