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浦和レッズ〜GKの歴史〜②

30年の歴史の中、様々な個性豊かな面々がレッズのゴールを守ってきた。
前回①ではチーム創設から在籍していた2人のキーパーを中心に、レッズが再昇格するまでの約10年を振り返った。
今回の②ではさらに約10年。
初タイトルからリーグ、ACL制覇…黄金期とも言えるチームを最後尾から支えたのは、また「2人」のキーパーだった。

①2002年〜2010年
西部洋平
山岸範宏
都築龍太
加藤順大


黄金期を支えたハイレベルな2人

2002〜2010年
西部洋平     11試合

山岸範宏 167試合


都築龍太 241試合


加藤順大  8試合

2002年
徳重健太が国見高校から加入。
山岸がレギュラーを奪取。西部は数試合に出たものの、前年の安藤に続き「背番号が1になったシーズンに序列が下がる」ことになってしまった。
チームは初のナビスコカップ決勝へ進出も敗戦。予選リーグは西部が起用された。
またシーズン途中に安藤が大宮へ移籍した。

安藤智安 (大宮)
移籍後61試合に出場

2003年
山岸と同い年の都築龍太がガンバ大阪から、加藤順大がユースから加入。
1stステージ開幕から山岸が起用されるも、4失点がきっかけとなり10節から都築がゴールを守る。
2ndステージも序列は変わらず、出場停止の1試合を除き都築がシーズン通してポジションを守った。
なおこの年から山岸は背番号1番を着用。まさかの3年連続背番号1が…となってしまった。
チームは2年連続でナビスコカップ決勝進出。鹿島にリベンジを果たし、悲願の初タイトルを獲得した。


シーズン途中、西部が鹿島に期限付き移籍。ここでは出番がなかったが、翌年から清水に移籍し結果を残した。

西部洋平 (清水、川崎他)
移籍後J1、J2、J3で454試合に出場

2004年
開幕から一番手は都築。1stステージは全試合にフル出場。2ndステージもレギュラーかと思いきや4節から山岸にチェンジ。チームは2ndステージで初のステージ優勝。

チャンピオンシップでは敗れてしまったが、2試合とも山岸がピッチに立った。
3年連続となるナビスコカップ決勝でもPK戦の末敗北。「PK戦に強い」と言われていた都築が出ていたらまた違った結果だった…かもしれない(もちろんPKにすら辿り着かず負けた可能性もある)。

2005年
山岸が怪我で出遅れた影響もあり、開幕から一年間都築がゴールを守った。都築の欠場は出場停止の1試合のみ。
初優勝となった天皇杯も都築が出場した。


シーズン途中、徳重健太が神戸に期限付き移籍。その後完全移籍となった。

徳重健太 (神戸他)
移籍後J1、J2で280試合に出場

2006年
昨年の流れのまま都築がレギュラーとして連続出場。しかし、10節大宮戦で負傷交代してしまう。
その後数試合欠場し、復帰するも強固な守備陣と共にシーズン最少失点を達成した山岸がポジションを譲らず。チーム初のJリーグチャンピオン時の正GKとなった。

しかし、2連覇を達成した天皇杯では全て都築が出場、5試合で3完封と実力を見せ、決勝では古巣ガンバ相手に勝利した。
ナビスコカップで加藤順大がデビュー。
またこの年、ユースの大谷幸輝が2種登録で公式戦3試合にベンチ入りしている。

2007年
スーパーカップと開幕戦は山岸が先発。しかし2節以降はリーグ戦全て都築が出場、正GKを奪還した。
制覇したACLでも都築が全試合に出場。6試合を完封、PK戦で勝利するなど前年の悔しいを晴らした。 

この年都築はベストイレブンにも選ばれ充実した1年になった。
反対に山岸はナビスコカップは2試合、天皇杯は試合で敗退したこともあり、実力を発揮する場面が限られてしまった。

2008年
昨年に続き都築が従実したシーズンを送る。
リーグで山岸が出たのは1試合のみで、またもや悔しい1年になった。
前年公式戦の出場がなかった加藤がナビスコカップ1試合に出場。
チームはリーグ7位、国内カップ戦は早々に負けてしまい、ACLは準決勝でガンバに負け…と上々とは言えず、監督の途中交代もありバタバタとしたシーズンだった。

2009年
この年も序列は変わらない。リーグ戦は都築、カップ戦は山岸でシーズンは進んでいった。
ところが9月に都築が故障。これをきっかけに後半戦は全ての試合に山岸が先発した。
加藤、大谷はいっさい出番がなかった。

2010年
ここ数年の流れが一変。山岸が守護神に返り咲き、リーグ戦全てに先発フル出場。
ベンチには加藤が座り、次は大谷。都築は4番手になった。
6月、都築は緊急でGKを探していた湘南に期限付き移籍。15試合に出場するがオフにそのまま契約満了となり、引退を決断した。まだ32歳だった。

数年連続でタイトルを獲得したこの時期のチームにあって、同い年2人のポジション争いがお互いのレベルを高め合っていたに違いない。
ここでもまた、1つの時代が終わった。

このまま山岸が守護神として君臨するのか?
③に続きます。


安定感抜群でフィジカルも強く、総合的に優れていた山岸範宏。
スーパーセーブと敵を威嚇する闘志、何より必殺の超高精度パントキックが武器だった都築龍太。
このキャラが違う同い年の2人が「自分が正GKだ」という闘志を保ち続けてくれたことは、当時のレッズにとって幸運なことだった。
2人ともお互いがいなければもっともっと出場記録を伸ばしていたに違いない。

山岸はこう言っている
「悔しくて仕方なかったですね。どうしてお前がいるんだ、なぜ浦和に来たんだという感情は正直ありました。ただ龍太と競争できたから、日本代表クラスに成長できたのは事実。レギュラーになったほうが日本代表に呼ばれる、という高いレベルの争いは他のクラブにいたら体験できなかったと思います」

都築が来てくれたから、山岸がポジション争いを受け入れてくれたから、あの黄金期はあったのかな?と思う。素晴らしい2人だった。


読んで頂きありがとうございました。
次で終わりです。
近代的GKを経てあの人がやってきますね。

またよろしくお願いします。

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