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「就活落ちた日本死ね」に感じる途方もない違和感とズレ

「就活落ちた日本死ね」というはてなのエントリーが話題になってます。

もちろん話題になった「保育園落ちた日本死ね」のオマージュ…いやパロディなワケですが、「保育園」と違って全くもって共感できないのです。

「日本死ね」は懸命に生きている人だけに許される暴言

「保育園落ちた日本死ね」が、「死ね」というお世辞にも褒められたものではない暴言を吐いているにもかかわらず日本中の共感を呼び、政治すらも動かしたのはなぜか。

それは、働くパパやママが、自分の将来や生活のために、子どものために、あるいは仕事を通じて誰かの役に立つために、懸命に働こうとしているにもかかわらず、自分の努力や頑張りが及ばないところで保育園に入れる/落ちるが決まってしまい、保育園に落ちた日には、その努力がすべて水の泡になってしまうやり場のない怒りと無力感を表現する上で「日本死ね」以外の言葉が思い浮かばないほど、言葉のチョイスが秀逸だったからです。

つまり、「日本死ね」という暴言は努力の限りを尽くしているにもかかわらず、理不尽な「何か」によって努力を無に帰されてしまう人にだけ許された呪文なのです。

それ以外は耳障りの悪い、ただの暴言です。嫌悪感しか感じません。

自分自身の努力がそもそも不足していたり、他に選択肢がある場合は「日本死ね」という暴言を吐く資格はありません。

そもそも面接は落ちるもの。面接落ちは内定の母である。

何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねえのかよ。
見事に面接10連敗だわ。
どうすんだよ俺活躍出来ねえじゃねえか。

そもそも、たった10連敗してるくらいで落ち込むんじゃないよ!とリーマンショック後の戦後最悪の就職氷河期で就活をしていた僕らの世代はツッコミを入れたくなってしまいます。

「100社落ちたって構わない。1社さえ内定をもぎ取れたら。」

落ちるのは当たり前。
エジソンが数多の失敗を重ねて、数多くの発明を生み出したのと同じように、面接落ちを経験することで何が悪かったのかを振り返ることができ、次に活かすことができる。

いわば「面接落ちは内定の母」なのです。

10回面接落ちたことを単なる10連敗と捉えるか、10回の失敗と捉え、そこから何を学び、何を次に活かすか。前者の人は100社受けても落ち続けるでしょうし、後者の人は次の10社のうち数社は受かるようになるでしょう。

「たった3ヶ月で働く企業を選べ」なんて誰が言った?

ただでさえ、たった3ヶ月で自分の働く企業を選べなんて無理があるのに、情報解禁とほぼ同時に選考始められたらどうすりゃいいんだよ。説明会と選考の日程が被りまくって、会社を見て回る時間なんて全く無えわ。10社も落ちるってことは、その業界が自分に合ってないのかもしれないけど、今年の短期決戦だとやり直しも効かねえ。

企業はルール守らねえし、学生は面接で嘘つきまくり。

就活=嘘つき合戦

こんなことやってる国が経済発展なんて無理でしょ。日本なんてさっさと沈め死ね。

ここに大いなる勘違いがあります。

3月1日は企業の採用広報活動の解禁であって、学生の就職活動の解禁ではありません。

企業選びに必要な情報収集は、3月1日のリクナビ・マイナビオープンを待たずしていくらでもできます。日経新聞やNewsPicks、経済誌を読んで企業研究することは就活生のみならず、あらゆる学生が可能ですよね。

MatcherVISITS OBを使えば、いくらでも社会人訪問ができますし、Wantedlyなどを使えばインターン先の企業も簡単に探すことが出来ます。

そしてそもそも就活=嘘つき合戦というのも誤りです。賢い学生は嘘をついている企業は瞬時に見抜きますし、企業も学生が嘘をついているのかどうかはある程度分かります。

「たった3ヶ月で働く企業を選べ」なんて誰も言っていません。それを決めているのはすべて自分なのです。

「正社員以外の道もある」というのはアドバイスでも何でもない

就活に関する不満を言うと、どこからともなく起業家やフリーライターが沸いてきて、「正社員以外にも生き方なんていくらでもある」みたいな有難い有難いご高説を唱え始めますよね。生き方がいくらでもあることぐらい分かってるわ。他人と違う生き方をするのに必要な才能がないことを自覚してるから、正社員と言う名の奴隷を自ら志願してんじゃねえか。就活生にアドバイスするフリして、自分の成功ひけらかしてんじゃねえよ死ね。

これは同意です。

「正社員以外にも生き方なんていくらでもある」

というのは事実としてはその通りなんですが、そんな生き方ができるほどの自信がないからイヤイヤ就活してるわけですよね。これはアドバイスでもなんでもないです。

大学受験が「努力のピーク」な人はヤバい。

「就職できないのは努力が足りないから。自業自得。」みたいなことを言う奴もいますよね。言わせてもらうけど、人並み以上に努力してきたわ。お前らが良い大学に行けば人生上手くいくって言うから、死ぬほど勉強して良い大学に入ったよ。ところがいざ就活始めてみると、企業が欲しがるのは、遊び続けてきたリア充じゃねえか。今までの努力は何だったんだよ死ね。ついでにリア充も死ね。

「お前らが良い大学に行けば人生上手くいくって言うから、死ぬほど勉強して良い大学に入ったよ。」

というのは素晴らしいですよね。よく頑張りました!

じゃあ、大学に入ってからはどうでしたか?

死ぬほど努力して、何かにチャレンジして「良い大学に入る」以上の結果を残しましたか?

仕事柄、学生さんから就活の相談を受ける機会も多いのですが、一番切なくなるのはこの大学受験が「努力のピーク」だったパターン。

大学受験って、本来は人生においては通過点にすぎないはずだし、手段にすぎないはず。

にもかかわらず、努力のピークが大学受験で止まってしまっている人があまりにも多い。いや、努力でも夢中でも何でも良いのですが、大学生活3年間を過ごしてきて、何もないわけがない。

単に、大学生活3年間の整理が出来ていないだけのケースも多いのですがね。

ちなみに「企業が欲しがるのは遊び続けてきたリア充」ではなく、自分のアタマで考え、自分の意思で決めて、行動し続け、たくさんの失敗と少しの成功を積み重ねてきた人、です。一見、遊び続けてきた人に見えるかもしれませんが、白鳥のように目には見えないところでものすごく足をバタバタさせているわけです。

新卒を特別扱いするのをやめよう。

このゴミみたいな新卒一括採用とかいう制度、今すぐやめろ。一生働くことになるかもしれない企業を、たった数ヶ月で選ばせるなんて狂ってるだろ。新卒という一回きりのチャンスに失敗すれば、その後の人生完全にパーなるのもおかしいだろ。

まじいい加減にしろ日本。

新卒一括採用は確かに時代遅れかもしれません。

が、世界でも稀有な新卒一括採用システムによって、世界でも稀有な「若年層の低失業率」が実現されてきた事実にも目を向けなくてはなりません。

そしてそもそも、「新卒という一回きりのチャンス」を特別視しすぎです。

「たかが新卒」です。

必要以上に新卒を神格化する必要はありません。
僕が勤めている会社には、新卒では落ちたけど、悔しさをバネに新卒で入った別の中小企業でめちゃくちゃ活躍して、その後転職してきた人がゴロゴロいるし、そういう人の方が活躍していたりする。

稀に「新卒でしか採用してません」という企業があったり、「中途入社者は上に上がれない」という企業があったりしますが、そんな企業にはそもそも未来がありません。「むしろ落ちてよかったわー」くらいに思っておきましょう。

おわりに

新卒の就職活動に対して、これほどまでに学生や社会人の注目が集まるのは、世界中見渡しても恐らく日本くらいのものでしょう。

もはやこれはある種の「お祭り」です。

「祭り化する就活」

とかいう本でも書けそうなくらい。違和感たっぷりですよね。

こんなことバカバカしいよねって、みんな分かってるんです。でも、踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損損!なワケです。

「こんな就活おかしい!」と本気で思うなら、自分自身で変えればいい。枠にハマらない新しい就活のカタチを、自ら体現すればいい。

「世界一即戦力な男」はその一つの形ですよね。

この菊池さんはその後LIGから内定を獲得し入社を決め、そしてこの4月には日本を代表するインターネット企業・ヤフージャパンに転職されています。
(ちなみに、世界一即戦力な男の企画を見て一番はじめに連絡があったのは、あのマイクロソフトだったそうですよ)

世の中の「枠組み」って、「誰かに決められている」ように見えて、実はそのほとんどを「自分自身が決めている」んですよね。

「枠の中で生きる」=誰かが作った枠組みの中で就活すると決めたのなら、その中で勝てるように努力するしかありません。

成人を迎えたオトナなのですから、そろそろ、自分の人生を自分で生きてみても良いんじゃないですかね?
誰かが引いたレールの上で生きるのはもう、おしまいにしましょう。

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