5年前のあの空に、桜なんて咲かない。

2011年3月某日。
5年前のあの日、僕らは大学を卒業した。

「卒業」という言葉からは、どこか香しいポジティブな匂いがする。リクルートをはじめ、社員の転職や独立をよしとする会社では、退職することを「卒業」と呼ぶことも多いが、退職と違い、卒業は「門出」を彷彿とさせる、とっても前向きな言葉だ。

ただ、5年前のあの日はどこか違った。

そう。あの東日本大震災があってからわずか2週間しか経っていなかったからだ。

東北を中心とした被災地では多くの方が地震という天災により命を落とし家族や友人を亡くし、原発という人災により大きな生活環境の変化を余儀なくされた。

被災地の方々のみならず、関東や関西など日本中、いや世界中の人たちに甚大なる影響をもたらした日本史に残る大事件だ。

そんな中、日本中に漂うは徹底的な自粛ムード。
飲み会ではっちゃけるなんて論外だし、行き先が被災地じゃなかったとしても旅行や観光に行くことすら躊躇われるような雰囲気があった。

卒業式は、ありませんでした。

「自粛ムード」は思いもよらないところにも影響を及ぼした。そう、学生たちの門出の儀、卒業式だ。

全国すべての卒業式が自粛されたわけではなかったとは思うが、僕の大学も含め、関東圏では多くの大学が卒業式を自粛した。恐らく、卒業式が中止となったのは戦後初めてか、安保闘争以来だと思う。

*ちなみに、同年4月の入学式も同様に、多くの大学が自粛をしていた。2011年卒業組と、2011年入学組はそれぞれ卒業式、入学式を経験していない稀有な世代なのだ。

そんな状況だったため卒業式はなかったが、卒業証書の授与はあった。もちろん、講堂の舞台で渡されるような儀式じみたものでは一切なく、大学の事務所で学生証を提出すると、それと引き換えに卒業証書がもらえる、という極めて儀式的で簡素なものだった。

「サクラサク」

そんな言葉が全く似つかわしくないような、暗い空気が漂っていた。

桜なんて咲いていなかったけれど、不思議と僕の心にはポジティブな感情が生まれていた。

日本全体が大変な状況の中で、無事に卒業を迎えることができただけでもとてつもなく幸せなこと。

震災の翌月の四月に社会人になる、社会に出るということは僕たちの世代は何か特別な使命を背負ってるんじゃなかろうか。そんなことを、誰に言われるでもなく、勝手に思っていた。

5年後、2016年のぼくらは。

あれから5年。

僕らは少しは社会をよりよくすることに、時間やお金を、そして自分という存在を投資できただろうか。いくばくかの良い影響を、社会に与えることはできただろうか。

その質問に"Yes"と応えられる人がどれだけいるだろうか。

"Yes"と応えられなくったって、構いやしない。
だってまだ、僕らは若い。社会人になってから5年しか経っていない。

人生は僕らが思っているよりも、ずっと長い。
けれど、僕らが思っているよりも、ずっと短いかもしれない。いつ自分の身に何が起こるかなんて、誰にもわからないから。

「今日が人生最後の日だとしたら、どんなことをする?」

あまりにも使い古された問いに対して、ぼくらはどう応えるか。

その問いに正解なんてないけれど、「今日が人生最後の日だとしても、変わらずに今日という日を送るよ」と言えるような毎日を過ごしたいものだ。

あれから5年。

未だに卒業式は執り行われていない。当たり前だけど。
もう5年経って、10周年になったら、大学のみんなで集まって「10年目の卒業式」みたいなことをやりたいな。

ということで、5年前、2011年の「存在しなかった卒業式」を振り返ることをもって、卒業を迎える皆様への、そして卒業式がなかった同世代への祝辞と代えさせていただきます。

P.S.
ふと、5年前のことを振り返ろうとFacebookを探っていたら、Facebookに一番初めにアップロードしたのが「卒業証書を受け取ったあの日」の写真でした。懐かしいような、ついこの間のことのような、フクザツな気持ちです。笑

#卒業したい
#卒業式
#東日本大震災
#桜

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

ありがとう!Twitterでツイートしてくれたらリツイートします!
19

nマガ-西村創一朗の人生を編むnoteマガジン-

nマガは、西村創一朗 @souta6954 の日常を徒然なるままに書き綴るノートです。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。