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私の働き方             ライフスタイルの変化と心境の変化


私は現在、保健師と助産師の2つの仕事をしています。
保健師の仕事は、週4日市役所の非常勤職員として。
助産師の仕事は週1日。2023年4月開業届を提出し、産後ケアと赤ちゃん訪問をメインに実施しています。
何故、この働き方にしたかというと「好きな仕事を子育てと両立して継続するため」なのです。

なぜ、この考えになったか説明するにあたって私の仕事の変化と心境の変化をお伝えしていきます。

大学卒業後〜28歳で結婚するまでの仕事のやり方

20代の時、病院で助産師として仕事した後、市役所保健師の仕事に転職しています。転職した理由は、赤ちゃんを出産したお母さんの支援を地域でしたかったから。保健師に転職後、仕事が楽しくやりがいを感じていました。

プライベートでは、休日に友人と出かけたり、食事をしたり。興味があることに対して自由に時間とお金を費やすことができたのがこの頃でした。
私は、美味しいもの好きなので「美味しいパン屋さんができたらしいよ〜」と聞くと、車で1時間かかる場所でもまず行ってみるような性格なのです。
まさに20代は自分がやりたいことを楽しんだ時期でした。

結婚を機に熊本へ

やりがいを感じていた保健師の仕事ですが、結婚を機に退職。夫が住む熊本での生活が始まります。
結婚したことで、泣く泣く前職を退職したのですが好きな仕事だったので、同業の仕事を探し、結婚当初は非常勤で勤務していました。
できれば、正職員としての希望があったので、採用試験に合格できた自治体へ転職しました。

30代 仕事と子育ての壁

晴れて新しい職場で、保健師として勤務できることになり、慣れない土地でしたが家族や周りの同僚に支えられて仕事をしていました。
そして、第1子を授かり、無事出産。
しかし、約1年半の育休明けからが至難の連続だったのです。

職場は、自宅から車で1時間以上かかる距離にあるため、こどもが熱発してもすぐにはお迎えにいけず、義母にお願いすることが多く、夫は仕事が多忙で対応してもらえず。
職場と義母に何度も「すみません」と言い、こどもに対してすぐに対応できない申し訳ない気持ちがあり、いろんなものに板挟みされているような気持ちが続きました。
そして次第に業務量が増え、仕事と家事、育児に終われる日々。
可愛いはずの子どもにきつく当たってしまい、後悔する場面も多々ありました。夫は相変わらず多忙で家事育児分担は圧倒的に私に比重が傾いていました。もちろん、夫に対する不満もあり、時々発狂していました😥

そして、心身ともに疲労困憊の状態の時、帯状疱疹になりました。
この時、「もうこの生活はやめよう。」と思ったのです。

転機はここから

気づけば30代後半に差し掛かった時、第2子妊娠。
「タイミングが来たぞ」と思ったのです。

つまり、私がやりたいことをしながら、家族と向き合う時間を大切にした生活にシフトしようと決めたのです。

暮らし、子育て、仕事。
全てを楽しみたい。と考えているから、まずは仕事のやり方を変えることにしたのです。産休、育休中に見直すことにしました。

①働く時間
②仕事内容
③やりたい仕事って?
この3つを主軸に働き方を考え直しました。

そして行き着いた仕事の仕方が現在の働き方。
保健師と助産師の仕事が好きな私が、自分にしかできないやり方で。
それが、週4日は市役所で非常勤保健師、週1日助産院なのです。
夕方17:30には帰宅し、食事を作り、毎日こどもと夕食を食べることができる生活。
時間に追われることはありますが、以前より落ち着いています。

生活が変化した今、一番変化したのは私のメンタルです。
穏やかになりました(笑)
夫にも変わったと言われます。
振り返ると、第1子が産まれ仕事復帰したとき、「仕事を頑張らなければならない」「職場の期待にも応えたい」「子育ても頑張らなければ」と誰かの期待に応えなければならないと、自分のキャパを超えたものに応えようとしていたことに気づいたのです。
自分自身と向き合うことなく突き進んでいたのです。

結婚、子育てとライフスタイルの変化によって、自分が置かれる状況は変化します。その時に、自分がどう感じているか向き合う時間は必要です。
変化が生じた時、自分と向き合い、心地よいことは何か考えることは大事なことです。私の人生はまだまだ続く訳ですから、これからもこうやって自分と向き合い、変化に対応して行けたらなんて考えています。








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