見出し画像

「積読」の脅威と、「ふと読み」の至福

 皆さんも経験をしたことはあるはずだ。そうだきっとあるはずだ。それが「積読(つんどく)」。今回のテーマはこの誰がつけたのか、誰が読みをあてたのかわからないけど響きはよい言葉である。

 その意味をWeblio辞書によると

積読 読み方:つんどく 別表記:積ん読
本を購入し、「いつか読もう」と思ってはいるものの、まだ読まずに放置してある(積んである)状態、あるいはその本を意味する語。「積んどく(積んでおく)」に掛けた表現である。

 なるほど、やはり掛けていたのか。こいつはなかなか洒落っけのある言葉じゃないか。そうそう「積読」ってのも、なにも最初はネガティブなものじゃないんだよなと。と、ちょっとべらんめえ口調はこの辺にして…

1.「積読はじめ期」の愛おしさ

 さて積読といえばポジティブかネガティブかでいえば、もしかするとネガティブだなぁと思ってしまうだが、その発生する段階を思い返してみよう。

 いわば積読の赤ん坊。よちよち歩きの積読は、そりゃあ可愛い。可愛かったなぁ。いわば「積読はじめ期」とでもいうか。
 この時期の積読はひとそれぞれ冊数は異なると思うがだいたい「2~4冊」とイメージしていただきたい。なんとなく誰かにすすめられたり、Amazonレコメンだったり、本屋で偶然的に出会ったりと。なんとなく選んで、揃った本たちが重なり合う時期を「積読はじめ期」とする。

 とにかくこの時期には「愛おしさ」や「早く読みたいな」というワクワク感があるのだ。だってまだ数冊だし。目に入れても痛くない積読だ。

2.気付けば「積読タワー期」になりまして

 しかーし。この積読ちゃんは、可愛いんだけど、気づいた頃には成長しちゃうんだな。あれ、いつのまに声変わりした?てか成長痛もう終わった?あれもう私の背を追い越しちゃって…そんなこと構うものかと、筍のようにニョキニョキと積読は成長を続ける。しまいにゃ世間巷では「積読タワー」と呼ばれるほどになってしまうのだ。
 どうだろう、これも皆さんも経験あるんじゃないかと思う「積読成長期」だ。うーん、成長期はほぼなくいつのまにか「大人」になっているといったほうが正しいのかもしれない。

3.もう「積読ばなれ期」の時期になる

 そんな「積読タワー」は立派な大人扱いだ。男の子から男性へ、女の子から女性へ。もうスーパー銭湯で違う性別のお風呂に入れない年頃ともいえる。さてこのころ立派に成長した「積読さん」を見ると芽生えてくる感情がある。それが「視界にいれたくないよ…」というこれまでにはにわかに信じられない感情なのだ。でも「ああ、そろそろあれを読まないと」と思っているうちにまた1冊、1冊と積読タワーは背が高くなっていく。
 この時期こそ「積読ばなれ期」だ。あれだけ愛おしかったのに、もうなんかみたくもなくなる時期だ。これ本当に辛い。「積読はじめ期」を忘れる程、積読タワーをみると「焦燥感」「ストレス」を感じるのだ

 ここまでは仕方がないのかもしれない。でもここからが重要なのだ。何を選択するかで未来は変わる。

❶向き合い対峙してみる
❷無視、もしくは、逃走する
❸そもそもタワーを破壊、取り除く

 あなたにはこの3つの選択肢が与えられ、どう対応すべきか、その意思決定、判断が必要になってくるのだ。今回は❷の逃走、無視や❸のタワー破壊を選んでしまうとそこで話がおわってしまうので、❶について考えてみたいと思う

向き合うときの心構え「ふと読み」

 では向き合ってみよう。
 うず高く積まれた本。積読タワーと名前を変えた、いや進化した積読に向き合ってみよう。どうだろう、じゃあ一冊ずつ下から取り出していこう。そして今週末にじっくりと読むんだ‥‥

 果たしてあなたはそんな意思をお持ちだろうか?もしもそんな意思があったら積読タワーも出現してないんじゃないですか?

 と、心の中で自問した上で、もう一度、問うてみる。いや、その必要はなく意思の弱い私は、向き合うことは出来ないのだ。

 でもここで一つの転機が訪れた。家で宅急便を待っているときである。私は必ず自分で設定した時間には家で受け取りたいタイプで、いつでも家を出ることの出来る準備をしている上で宅急便を待った。でもあと5分なのか1時間後なのかわからなかった。

 ふと、私は、積読タワーに手を伸ばした。
 座ることもなく、何も考えることなく、一番上の本に手を伸ばし、読んだ。いや、読んだというよりは「目を通した」というほうが適当かもしれない。まさに「立ち読み」をしたような感覚だ。
 するとどうだろう。「ふと」読んでいるので、どんどんと読み飛ばし、1冊が終了。そのまま2冊目、3冊目と「ふと読み」が出来、1冊10分のペースで5冊を「ふと読み」したのだった。

 もちろんまったく意識はしていなかったが、この自然発生的な読書方法「ふと読み」をした結果、得たものは「スッキリ感」であった。
 読まねばという無言のタワーからくるプレッシャーから逃走していたのだが、「ふと読み」によりざっくりと5冊の内容を把握することが出来たのだ。本当にこれだけである。

「ふと読み」で至福の時間を過ごしましょう、よ

 するとどうだろう、先ほどまではストレスすら感じていたタワーの根元部分の本を自ら掘り起こし、読みたいと思えるようになるのだ。もともとは自分が気になっていた本ではあるし、読んだら楽しいのでそれは必然か。
 でもこの必然にたどりつくには間違いなく「ふと読み」という偶然があったからだと私は考えている。

 現代に生きる人はみんな忙しい。でもそんな予定はお構いなしに素晴らしきロクデナシ達たる本は毎日出版されている。わたしはじめ意思が弱い人にとって「積読」は仕方のない現象でもある。
 でも、そんなに真面目に向き合わずに、かる~い気持ちで「ふと読み」をして頂きたい。絶対に気持ちが楽に、何か幸せな気分にすらなるのです。

 今回はシンプルに「積読」のお話で短めに書こうと思っていたが、気づけばこんな長文になってしまった。
 勿論このポストも私は「ふと読み」で読んで欲しいと思っているので、ここまでの所要時間は1分くらいでいいのではないでしょうか。
 と、そんな根拠もない数字をいったところで今回は〆たいと思います。他にもこんな解消法があるという方はTwitterもやってますのでご意見など頂ければ幸いです。 

ホワイトボーダーズ#14 完

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?