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【感覚過敏との共生】僕らは仲良し♪

手ごたえを感じているのならやり方を見直すこと。これは下に貼らせていただいたnoteの言葉を自分なりにお借りしたものです。とても響いた言葉でした。

どうも、クエッショニングの葵井柳宇です。
今回は引用記事を、

繊細な人・感覚過敏

の観点からお話ししたいと思います。


私はここnoteで色々綴っている通り、
五感の過敏さ(聴覚などの感覚過敏)などの様々な生き難さと向き合っています。

生き難さを少しでも軽く、そして自分らしくイキイキと生きていくために療養し、自身と手を取り合う行為をしている真っ只中にいます。

そう、感覚過敏の私達は常にこの『歩いている感覚』のように、今の自分はイキイキとしている感じだとか、誰かの緊張が感染って負荷を感じてるだとか、逐一感じ取ってしまうものなんですよね。


私の自己表現の言語で表すと
それは


『生きている実感を感じ過ぎて、苦しい』


状態なんです。



私はこの生きている実感を減らしていきたいと思っています。

それは心を閉じたり心が死んでしまうようなことではなくて、様々の情報に振り回されることなく、やりたいこと・感じたいことに全力になれるようになるということ。


これら繊細さは『私の武器』であり『私の色』であると思います。

私の生来の性別と同じで『治す』という概念とは違った、生まれ持った生粋のものです。


言わば

私の矛と盾

です。


自分や周囲に良い影響を与えることも、コレに振り回されて自分や周囲に悪影響を与えてしまうこともあります。

自分の中で矛と盾が、落語よろしく『世界一対決』を始めてしまって一人苦悩することだってあります。

けれど、どうせなら自分と手を取り合って、笑顔で、自分にも周囲にも良い影響を与えることが出来るようになりたいじゃないですか。


それで、そのために出来ることって以外とシンプルなんだな、と思う今日この頃。

箇条書きするとこんな感じ

・自分に合った生活リズムで、そのサイクルを守ること
・添加物の少ない手料理をバランス良く食べること
・自分を責めないこと
・楽しむこと
・疲れたと思ったらすぐに休息を取ること
などなど

いうて

食う・寝る・遊ぶ

を健全にやるってだけ。笑


『食う』

食べることは、過敏さの中で視覚・嗅覚・味覚を主に刺激します。

美味しい味を堪能しようとしたら、聴覚や触覚の過敏さはそれを邪魔してしまっていることになるのかなぁと思うのです。

ちなみに私は家事、その中でも特にお料理というものは国数英理社の基本的学問の集結帯だと感じていて。

楽しんでお料理をすることは、すなわち五感も思考もそこに集中できる良いコンテンツだと思っています。

私は計量しないで感覚で作ってしまう派なのですが、調味料や野菜の組み合わせで起こる化学変化・栄養素の効率的な摂取方法・彩り・保存・カットの仕方による食感や調理時間の違い・和洋中の文化や歴史や食卓のバランス・美味しい状態で完成させる工程の組み方…などなど、過回転をする私の脳みそは大忙しで『美味しいごはん』のことだけを考える。


これって、そこに集中して楽しんでいるので

他の刺激に振り回されない

でいられる状態なんです。


もちろん万全のときは、です。

無理してしんどいときにこれをしてしまうと、大事な『楽しむ』が一緒に居てくれなくなってしまうから。


自分が楽しめる家事をリフレッシュやリセットに使う感じです。

今日は何を食べよう?と悩むことも、脳みその過回転や刺激受信を食にズラして楽しむ。

そして体に良いものを食べて栄養不足も解消する。

栄養素が不足したり偏ることも過敏加速になりますものね。

食を楽しむことは私にとって、過敏と上手く付き合うための最高のツールとも言えます。



『寝る』

睡眠不足はそもそも健康的な人でも感覚過敏を引き起こします。

私のように生来から過敏持ちの場合、ちょっとの睡眠不足も過敏が悪化する原因になります。

それがプラスに働くのが『深夜テンションで書いた、意味がわからないまでに振り切れた作品』の創作なんだと思いますが…。笑


そういう作品も好きですが、やはり健康的な心身で情熱と冷静の間を保ちながら作品をコンスタントに作っていきたいと思います。

その方が現実的で建設的な気がします。

最近気付いた実感であって、それが正解…とか言いたい訳ではなくて、私いち個人の感覚はそうでありたいな、と。


これは一長一短で改善出来るものではないので、焦らずに自戒もしつつやっています。

生活リズムの修正は一回で最大4時間だったでしょうか…曖昧な記憶ですみませんが、ちょっとずつズラして修正していくものらしいので、時差ボケ対策をするのと同じことのように感じます。

海外に行った経験はないのですが、そんな感じかなぁーと。


睡眠不足は万病の素!

と思っているし過去の無茶な生き方で痛感してもいるのですが、なかなかに安定して睡眠を確保出来ていないのが私の今の悩みであり課題だったりもします。


最近やめられているなと感じる悪習慣は、深夜の読書や文字書き・アプリゲームなどスマホを触ること。

読書は今でも稀にすることはありますが、条件が出来てきたなと感じます。

・低刺激な薄明かりの中で
・紙媒体であること

の2点。


きっかけは他者のアドバイスを思い出してやってみたこと、になるかもしれません。

けれど、そうルール付けているという訳ではなくて自然とそうなった気がします。


眠れないストレスからの逃避に従順になり、眩しいという刺激を嫌う自分に素直になり、過回転する思考を別のものに置き換えて負荷を減らしたいという欲求に素直に従う。

それが、私にとっては上記の条件の読書だったというだけのことでした。

読書は時に、筋弛緩のためのストレッチになることもあるし、胃の負担は増えますが咀嚼刺激に置き換えて軽く夜食をとることもあります。

健康的に眠れることが一番理想的ですが、眠れないという現象に対してのストレスを減らすことも大事だなぁと実感しています。

アロマキャンドルを灯して、好きな香りと薄明かりに揺らぐ炎を眺めることはとてもリラックスに良いそうです。

我が家にはないので、いずれ試してみたいなと思います。

好きな香りに関しては、ホットアイマスクの香り付きを愛用しています。

ジーンとして香りがほっこりしてとても気持ちが良いです。


『遊ぶ』

これは純粋なアクティビティと捉えていただいてもいいんですが、今私は節制をしてまして。

ド田舎暮らしのくせして車も手放したので、おいそれと喫茶店一つ行けない状態。

それでも毎日『遊ぶ』ことはしています。

それは近所にアクティビティ施設があるとか家庭用ゲームをしているとかではなくて

私が楽しいと思うことをしている

ってだけ。


好きな音楽を聴いたり山のような積ん読を消化したり…てこともですが、私にとって書くこと・脳みその過回転に任せて言葉遊びをすること、というのはとても楽しいことなんです。

散歩をしながら自然と戯れることと同じくらい、創作することが楽しくて。


つい真剣になりすぎたりエネルギーを消費しすぎてしまうので、そこの加減を脳みそと情熱が真剣会談しながら進めているのですが…。

脳みそさんが真摯に

「それは極論では?もっと現実的にいきましょう」

と言えば、情熱さんも冷静になって

「少し熱く論じすぎましたね、では間休を取りましょう」

と応じてくれるようになりました。


それに最近、情熱さんはちょっとMらしいと思うようになりました。笑

休憩の間や、脳みそさんが疲弊して創作を拒否している間を待つことも、また次の創作や会談のエネルギーになると感じている気がします。

『待て』を言われて、尻尾を振って「マダー?ねぇマダー?」と嬉しそうにしているワンコみたいなイメージです。

俺の情熱さん、可愛いだろ?

って自慢すると、負けず嫌いな脳みそさんは

「仕方ないですねぇ…今は労力が足りていないんですから、少しだけですよ?」

なんてインテリぶりながらも頑張ってくれるし、なんだかんだで仲良しなんですよねぇ。


なんつー妄想も繰り広げながら、ホコタテ会談も楽しんで過ごしています!



なので一日の反省は『何が出来たか』や『何がいけなかったか』といった内容ではなく

「おい俺、今日は楽しかったか?」

と問う感覚です。

それにもしYESと答えられなかったときは、

「じゃあお前、今日を良く生きたか?」

と問い直します。

そうすると必ず自分は「うん、頑張って生きたよ」などと肯定を感じます。

ので、一日の終わりは多くへの感謝と自分への撫で撫でで締めくくっている気がします。

ヨシヨシと自分を撫でるような感覚をも、たまに擬人化したりムツゴロウもふもふ王国と化して、楽しみながら行っています。

と、改めて言葉にしていくと私の脳内の変態っぷりがすごい…。笑


日常で映画『脳内ポイズンベリー』や『インサイド・ヘッド』を上映している感覚…まさにエンターテイメント!って感じを日常で生きられるのは、ある種の困難さはありつつも、とても楽しく、また簡単に真似ることの出来ない特別な日々を過ごせているんだと感じます。


私は、そうした『歩いている実感』のような過敏さと手を取り合って、楽しんで過ごしていきたいと思っています。

そのためにも、習慣化でキャパ整理をしていくことを引き続き頑張っていきますよー!

んではまたー。




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