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炊き立てのご飯

朝早く目が覚めたので、お米を炊く準備をして、ジムへ行った。
午前6時だと言うのに15名ほどすでに運動していた。私は寝起きで力の入り切っていない体に、負荷をかけゆっくり歩きながらネットフリックスを見ていた。

部屋に戻ると、ドアを開けた瞬間に炊き立てのご飯の香りで幸せに包まれた。にんにく味噌と焼鮭を交互に頬張りお米を口に入れ旨みが口一杯に広がり、至福の瞬間が訪れる。

そんな呑気に朝の身支度をしていると、
新聞のお悔やみ欄に同級生の名前が記されていたと
旧友からの不穏な連絡がきた。

同級生の訃報は、中学受験の時以来だ。

同級生は、京都で美容師をしていた。手足が細長くて美人さん且つお洒落でキラキラな日々を過ごしていると思っていた。

死因は聞けなかった。

死の間際、何を感じたのだろう。
気づいた頃には通夜も終わっており、最後に一目会うことすらも叶わなかった。
最後に会いたかった。

きっと、皆何かを抱えて生きているのだろう。

死を身近に感じた時、何を思う?
今日ほど生きる意味について考えようと思ったことはないだろう。

何のために生きるのか

今の自分で満足か

後悔の多い人生では無かったか

自分のことをわかっているようでわかっていない

生きる意味について考える必要がありそうだ。

帰りの図書館

今日の図書館は音楽がなっていない。代わりに、苦情を言う利用者の声が響き渡っていた。

仕事終わりに図書館で本を読む時間が侵されている状況の中、対応されている司書の方が、感情を押し殺し「お帰り下さい」と、一言言い放った。
はっきりと言い切ることは中々できる事ではない。

司書の方々のお陰で今日も平和に図書館を利用できている。
ありがたい。




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