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オカルトの終わり

小学生の頃はオカルト少年で学研の「ムー」を定期購読していたので、そのあたりの諸々には少し詳しい。

・宇宙人、UFO・ネッシー、ツチノコ、ヒバゴンなどのUMA・クリスタルの骸骨などのオーパーツ・人類は一度核戦争で滅んだ的な超古代文明・アトランティス、ムーなどの幻の大陸・エクトプラズムやイタコ、心霊写真などの幽霊系・死後の世界、輪廻転生(ダライ・ラマなど)・タイムトラベル(サン=ジェルマン伯爵など)・四次元の世界、時空の歪み(神隠しなどを添えて)・占い、予言(ヨハネの黙示録や聖マラキなど)・サイコキネシス、テレパシーなどの超能力・偶然の一致(シンクロニシティ)・妖怪、妖精、怪物(ミノタウロス、ゴーゴンなど)

久々に思い出すと、なつかしい。

しかし、あれから40年ほどが経ち、科学の力によって、これらはほぼ全て葬り去られたと言ってよいだろう。あるいは、よくても発展的解消?となった。

だいたいのものは、ユングとかテスラとか、権威っぽいものを持っていて、理論的支柱としていた。が、時代が進むと、いろいろ反駁されてしまった。

僕だけがおかしかったわけではない。

80年代とかはテレビのゴールデンタイムで、ユリゲラーや矢追純一、川口浩探検隊など、怪しい(失礼)しかし面白い番組がたくさんあった。ファクトフルネス全盛の今ならアウトだろう。だから、今はもうそんな番組は滅多にない。

科学の進展にはもちろん尊崇の念を持っている。こうしてスマホから世界に発信できるのも科学のおかげ。だから、好きだったオカルトが駆逐されても恨みはない。

ただ、思うのは、あれだけの熱量を持って信じられたオカルトを支えていた人々の思いはどこへ行ったのかということ。

オカルトという言葉はラテン語の「隠されたもの」というのが語源らしい。表の世界を支配しているパワーに絶望していた人々の密かな隠れ家がオカルトであったのではないかと思うが、その隠れ家は白日の下に晒されて打ち壊されてしまった。

格差社会が広がる現在、表の世界を支配しているパワーに絶望感を抱く人は増え続けているかもしれない。しかしもう今更彼らの隠れ家であったオカルトには戻れない。ノストラダムスも遥か彼方に消えた。

まあ、ファクトフルネス的には「世の中はどんどん良くなっている」だから、杞憂かな…。むしろオカルトに逃げなくてよい時代になったということだろうか。

それならいいのだが。

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