雑誌はもはや古典芸能なのか。

コンビニの雑誌売り場は減少の一途をたどっているし、テープが貼ってあって立ち読みができないお店も増えている。書店は潰れ、雑誌の発行部数は10年前に比べて6割も減っている。

美容室に雑誌という慣習が終わるのも時間の問題で、最近はタブレットにdマガジンというお店も多く(私の行ってるところもそう)、それってもはや雑誌の体を取っているけど、WEBでも全然いいよね、と思う。

dマガのホットドックプレスを見ると、雑誌風に仕立てているが、もはやそれはdマガでしか読めない。雑誌風のコンテンツをWEBで読むのだ。しかもクオリティは……である(にも関わらず、大変読まれているそうだ)。一種の雑誌パラドックスまで起きている。

もはや臨界点。世界はシンギュラリティの議論だが、雑誌はいまだ過去の幻想に囚われている。僕は雑誌作りに携わっているし、とても好きだ。とはいえ、雑誌信仰がそこまで強い人間ではない。なので、昨今の雑誌業界のあれこれに、どうもむず痒い思いがする。

雑誌の世界ではいまだに、コンテンツを紙で出すか、WEBで出すか、いや、紙が偉いという概念があるし、その呪縛に囚われている。先日、とある雑誌のライター募集を見て愕然とした。超人気雑誌であり、古参のファンも多く、コンテンツとしても最強。老舗ブランド、エルメスのような存在だ(わかりにくいかw)。

そんな媒体で、ライター募集。要項には「ウェブもSNSもやっていきますので!」と書いてる。にも関わらず、応募方法が郵送のみである。メールは受け付けないそうだ。

2018年8月である。

履歴書を買って手書きで書いて、経歴書や過去の実績をコピーまたはプリントアウトして、郵送である。なんなら、URLがある場合は、それを書いてくれ、と書いてある。紙にURLを書かせて、クリックするんだから、もう禅問答の世界である。

いや、わかるよ。熱量のある方をセグメントする方法なのだろう。有象無象。ライターと名乗る人種が多くなったいま、誰にでも門戸を開くという訳にもいかないのもわかる。媒体が好きな人でも一度は『ウッ!』と思いとどまるような仕掛けが必要だったのだろう。

わかるよ。でも、わからないよ。熱量を測る方法は他にもたくさんあると思うし、その受付部分が、数千年前から続く、アナログな配達手法でなんて。

出版業界って何がすごいってコンテンツを作る力がスゴイんだ。カメラマン、ライター、スタイリスト、ヘアメイク。すごい技術を持っている人たちが、熱量を持ってコンテンツを作る。それを司る編集者だって優秀だ。

もったいないのだ。

それだけのコンテンツを作れる人間がいながら、紙だウェブだと不毛な議論を続けるていることが。自ら古典芸能の世界に進もうとしているようにしか見えない。なんだ、情報を編集して新しい価値を生み出すのが、君らではないのか(自戒も込めて)。昔はよかったね、だから、ずっと紙でいようね、って。Baby boy、それは違うよ。もう、そこに読者はいないよ。

newspicksやcakesを見てみたらわかるが、もう、そんなくだらない媒体議論なんぞ関係なく、ガシガシと新しい枠組みを作り、コンテンツ作りに邁進している。良質なコンテンツと、紙、新聞出身の記者たちによる、紙のクオリティを保った記事作り。最強じゃないか。読んでてもとっても面白いぞ。

なのに、出版はなんだ。ウェブもやってもらいます!からの郵送はないだろう。それ自体にセンスも時代も感じられない。やはり、オワコンなのだ。それを象徴する事象だと思う。自分がお世話になった業界だからこそ、何だかとっても歯がゆい気持ちになる。

朝からモヤモヤする。うーむ、あと10分で会議がはじまる。

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