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私達はコミュニケーションを忘れてしまったのだろうか。上岡龍太郎さんの「超過激テレビ論」を見て。

  
  
   
先日テレビを見ていて
情報番組で九州大雨被害の事をやっていて、途中から、
  
     
   
被災者の男性の一人が母親が行方不明で、被災支援の方々と捜索に当たる毎日、
そんな時、身元不明の女性の遺体が見つかり、男性が確認した所、
母親だった。
その男性は、最後に泣きながら
「母親を1秒でも早く見つけたかったので母親が見つかって良かったです。
捜索して下さった皆様には感謝しています。」と
  
  
  
かわいそうだな、とは確かに思います。
悲しい。
  
    
が、私は情報番組で悲しい話を流す必要あるんかな?と思いました。

  
以前私はYouTubeで、上岡龍太郎さん
超過激テレビ論」を見た事が有るのですが、
   
  
ウイスキーか何かをテーブルに置いて煙草片手に上岡さん一人でテレビについて語るというもの。
  
  
「テレビを観ている人はどうもテレビを過大評価し過ぎている」
  
   
とテレビを見る人のレベルの低さや  
何年も前からだんだん面白くなくなっていくテレビを嘆いていた。
  
   
   
   
     
情報番組の九州大雨被害の母親捜索の件を見て、
上岡龍太郎さんの話を思い出しました。
やっぱり上岡さん言うとおりテレビは面白くなくなってきちゃったんですね。
   
  
   
以前、ノリピーこと酒井法子さんが旦那さまが大麻で捕まった時に、酒井法子さんが逃げちゃった事が有りましたよね、
あの時確か旦那さまが奥さまも大麻をやっているって吐いた気がしたんですが、
  
  
それに対して、テレビでビートたけしさんが
  
「こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけど、
夫婦なんだから、旦那さんもかばってやりゃ良いのに」
   
  
と言っていました。
  
  
これに対してネットのニュースかなんかで、
ビートたけしさんはなんて事言うんだ!犯罪は犯罪だぞ、みたいな記事を見た事が有ります。
  
   
が、私はそんな風には思いませんでした。
  
  
夫婦になるほど好きな人なんだから、例え犯罪だとしても庇いたい気持ちはあると思うの、
良くない事ではあるけれど、
人間ってそんなに単純では無いと思う。
   
  
ビートたけしさんの意見は、テレビの全てでは有りません。
皆がそうは思っていない、ってなんだろ?
私はそうは思わない、で良いんじゃないの。
家でキンキンのビールとか呑みながら見て、
「たけしは何を言ってるんだ馬鹿野郎!」って投げ掛けるくらいがせいぜい良いところなんじゃないかな。
   
ビートたけしさんとしての意見であって、
それをテレビの見ている人の勝手に決めた正当なラインに合わせていいのだろうか、とも思います。
色んな意見がある事を前提で、あの人はそうに言ったけれど、私はこう思う、みたいに、
多様な意見を出すのがコミュニケーションの本質ではないのか。
  
  
もっとテレビは自由で良いと思うの。
  
  
もっとテレビは自由で良いとすると、
私が情報番組で悲しい話を流す必要あるんかな?と思う事は矛盾では有る、
   
だけど、枠があって枠から越えて何かをやるのって、それは自由ではない。
自由の国とされるアメリカですら、ガチガチの法律があって
それを守った上で自由がある。
  
だから、情報番組の枠から越えてお涙ちょうだいの話はいらないし、
私の中ではこの2つは矛盾してないと思うんだけど、どうかな。
  
  
だとすれば、私も
家でキンキンのビールで、
うまくもまずくもないサラミかじりながら、
  
「最近のテレビはおもしろくねぇな…」
  
  
ってぼやくべきなんだろうか。
   
  
   

  

  

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