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【第8回】三戸なつめの粉もん部「日本コナモン協会との出会い#1」

三戸なつめの粉もん部第8回は、そんなこんなでとんとん拍子に2015年の初代粉もんプリンセスに就任した三戸なつめと、粉もん協会会長のゆるゆる対談をお送りします。 スペシャカレッジ通信 串田

過去の記事はこちら!

串田

どーも三戸ちゃん。
今日は大阪まで来てもらってありがとう。

三戸

ほんまですよ!
でも最近は大阪に良く来てるんです。

串田

それは、リリース関係?

三戸

そうなんです。
大阪の方に「前髪切りすぎた」のMVを撮ってもらったりしてたんで。
めっちゃ来てます。
2月とか3月とかめっちゃいましたよ。

串田

そうなんや。
今日はですね、
スペシャルゲストがいるんですよ!

三戸

え…誰ですか…?

串田

日本粉もん協会会長の熊谷さんです!

三戸

すごい!

串田

では、熊谷さんどうぞ!

熊谷

どうも、初めまして。
会長の熊谷です!

三戸

はじめまして!
よろしくお願いします!
やばい!
会長がいきなり来た!

熊谷

こちらこそよろしくお願いします!
粉もん協会というのは、
真面目な文化団体で、
粉もんの食文化を日本各地に訪ねたり、
無くなりそうになってる粉もんを発掘したり、
小さなお店を応援したりしてます!

三戸

私、粉もんが食べ物の中で一番好きなんですよ!

熊谷

うれしい!
早速ですが、粉もんって幅があると思いますけど、
三戸ちゃんの中でぱっと思いつくものって何ですか?

串田

いきなり質問来た…。

三戸

お好み焼き、たこ焼、うどん、とかですかね…。
あんまり境界線がわかんないんですよ!


そうですよね。
私たちの団体は、
2003年の5月7日にスタートしたんです。
その時は、私が食文化の研究をしておりまして、
私がやりたいと思った研究対象が全て粉だったんですよね。
そこで「粉もん」って言葉があったなと思って、
協会を立ち上げたんです。

串田

好きなものが全て粉からできてたってのがすごいですね!

熊谷

そうなんですよ!

三戸

うどんって粉もんですよね?

熊谷

勿論!
粉でできたものは基本粉もんですよね。
小麦粉やとうもろこし粉などもそうです。
日本で言うと、米粉、そば粉、きな粉もそうです。
色々あるんですよ。

三戸

全てが研究対象だったんですね。
いつから粉もんってあるんですか?

熊谷

日本では、粉もんの食文化は江戸時代以降に庶民に広がるんですね。
そこで大事なのは「臼」です。
粉もんは臼が庶民レベルまで広まるまでは、
一部の貴族の食べ物だったんですよ。

三戸

へー!

熊谷

千利休が小麦粉を水に溶いて味噌をつけたものを、
茶人にふるまったりしていたようです。
初めは斬新な料理だったんです、粉もん料理は。
それが後に一般人まで広がった時に、
うどんが関西で生まれるんですね。
大阪城を築城の時に資材置き場になった「砂場」ていう場所に、
うどん屋ができて、人気店になるんです。

三戸

へー!

熊谷

その当時、
舟で北海道から昆布が届いてたんですが、
昆布を水につけておくだけで、美味しい出汁が出るということに、
大阪の料理人は気付くんですね。
そこで、お出汁たっぷりの粉もん、うどんが生まれるんですよ。

三戸

そうなんですね。

串田

すごい情報量や!

三戸

ほんまに!
色んな情報が入ってきた!

串田

ちょっとオーダーとりましょうか!
すみませーん!

店員さん

はーい!

串田

注文お願いします!
皆様ドリンクは?

三戸

ジンジャーエール!

熊谷

私もジンジャーエールでよろしくお願いします!

串田

生で!
スタッフの皆さまも生で大丈夫ですか?
あと、熊谷さん、ここのおすすめの料理も注文してもらっていいですか?

熊谷

豚玉は食べていただきたいですね。
あと、イカ玉。
あと、道頓堀焼きそば!
をお願いします!

店員さん

了解しました!
じゃあ火つけますね。

串田

ここは有名な店なんですか?

熊谷

有名ですね。
千日前ではぴか一だと思います。

三戸

やばい!
楽しみすぎる。

串田

じゃあお好み焼きくるまでに、
熊谷さんに気になってること聞こうよ。

三戸


そーですね。
関東とかだと自分で焼く店あるじゃないですかー、
これって関西あんまり無いですよね?
なんでなんですか?

串田

いいこと言うね。
めっちゃ気になってた。

熊谷

なるほど。
関西でも自分で焼く店も残ってるんですよ。
まず、お好み焼きが生まれる前っていうのは、お好み焼きのことを洋食焼きって言ってたんです。
明治時代に西洋料理が入ってくる中で、
ソースという言葉が普及し始めるんですね。
日本人は醤油をかける文化が普通だったので、
ソースも日本人の生活に馴染んで広まっていったんです。
小麦粉を薄くひいて焼いて、ソースをぬっただけの食べ物でも、
これは洋食や!ということで普及していったわけです。
それが明治末期。

三戸

明治末期!

熊谷

そんな中で、
キャベツも洋食のイメージが当時あって、
重ねて焼く洋食焼きにキャベツを重ねて食べたりしてたんです。

串田

なるほど。

三戸

うーん。

串田

で…自分で焼くってところですが…

熊谷

焦らないでください。
こっからなんです。

三戸

(笑)

熊谷

大正から昭和にかけては、
男女は外を二人でデートするなんてことをしていない時代だったんです。
デートといえば室内でこそっと会うとか。
そんな中で、洋食焼きの店もデートで使用されていくんです。
もともとは、お店の人がいて、生地をひいて焼いたりしてたんですけど、
デートで来て2人でまったりしたいのに、ずっと店員さんがいるのはちょっとな…
ということで、もう生地や具材を置いて「2人のお好きに」っていうので、そういった店が増えていったんです。
ついたてがあるっていうのはその時代の名残ですね。

三戸

そこにラブがあったんや!

串田

いい話っすね。

熊谷

そうなんです。
あくまでも推測ではあるんですが。

串田

めっちゃめんどくさい店やなって思ってましたよ。

三戸

ほんまに!

熊谷

そうなんです。
だから逆なんですよ。
関東は昔のまま残っていて、
関西はそのデートでの洋食焼きから店で焼く形に戻ったんですよ。

三戸

面白い!
めっちゃ勉強なります。

串田

ほんまですね。ってかさっきからめっちゃちゃちゃ入れてくるおじさんがいるんですがあの方は…(笑)

熊谷

事務局長の林です…。
おだてると調子にのるので、ほっといてもらっても大丈夫です。


さびしいなー!
なんでも聞いてもらっていいんでよろしくお願いします!
例えば…僕は細身の彼女が好きです!
え?誰も聞いてない?
そーか、そーか!まいったなー。

三戸

よろしくお願いします(笑)
めっちゃ関西人!
おもろい!

串田

なんか面白いひとが入って来た!
恐るべし粉もん協会!
って言ってる間にお好み焼き来ましたね!

次回に続く。

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