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5年働いた職場を退職した

カメラ屋さんにアルバイトとして5年勤めた。
渋谷という立地にありながら、世界の最果てくらい真っ黒な壁に囲まれてるせいで、変な時間の流れ方が体感できる店だった。

職業・俳優を名乗るのならば『まぁ所詮アルバイトだから』という態度を取ることだってできる。
それで構わないと思う。なぜならアルバイトだから。
だけど本気で仕事してしまうのが、私の性格だった。

かわいい後輩がたくさんできた。
社員がいないぶんスタッフの代謝はいい。私は一番の古株だった。
うちでは研修期間を終えると、基本的にワンオペになる。だから研修期間中にできるだけ教えられることを教え、あとはお任せしていくというスタイルだ。パンクだぜ。
スタッフの半分は学生さん。まだ10代の子だっている。
接客はいくらでも手を抜こうと思えば抜ける。
だのにみんな一生懸命だ。

スタッフはクラスメイトではない。
個人情報を聞き出すようなことは極力しないようにしてきたけれど、学校のこととか、友人のこととか、趣味のこととか、他愛のない世間話をした。
将来の相談には、経験もないくせに無責任なチャチャを入れた。
外で別の仕事をしているスタッフをリスペクトしていたし、私の俳優としての側面も気にかけてくれた。
誰かが遠くへお出掛けしたら、お土産買ってきてみんなで食べたな。
どっかで撮ったフィルム写真を見せ合った。
学生さん、どんどん考え方が立派になって、就職先が決まって、髪の色が変わっては戻り、卒業していった。
すでに遠くへ行った子たちも含めて、みんな大好きだった。

お客様と話すのも楽しかった。
出入り口付近かつ、テナントの端にある都合で、秘密基地のようだった。
そのぶんダンジョンには不思議な人たちが集まってきた。
道に迷った人、ATMを探してる人、Uber Eatsのお兄さん。
海外からのお客様が増えた。なけなしの英語とボディーランゲージとパッション、あと翻訳アプリで乗り切った。
ネットで検索して、関西から来てくださった方も居たな。
「フィルムカメラをいつか始めたいんだけれど全く知識がない」と相談くださり、そのまま買って帰ってくださる方。キラキラしてた。
濃い常連さんたち。お若い方から、長年カメラと付き合ってる方、お仕事にされてる方。
私よりうんと詳しくて、教えてもらうことばかりだった。

フロアの他の売り場のスタッフさんともたまに話した。全員と深く関わることはなかったけれど、丁寧に挨拶してくださったり、会うとお互いガッツポーズしてテンション上げたり、自然と付き合いが長くなって気を許せたり、相談できる間柄だったり、みんなにお世話になった。
辞めることを伝えると「テナントさんで小池さんが一番好きだった」と声を掛けていただいた。

平和で恵まれた環境だったし、それはみんなで獲得したと思う。

辞めることを社内に報告した翌日、社長が来た。
「お疲れ様ぁ、残念やわぁ」と柔らかい関西弁で声を掛けられた。
残念、の裏に5年間が詰まっている気がして、複雑なこそばゆい気持ちになった。
「小池さんが辞めたらほんまにでかい、困るわぁ」
という言葉には、優しさが詰まってる。
私の未熟な今後の展望を、いつものように目を見て話を聞いてくれて、
「俳優として、売れてほしいわ」
と続けた。
入社してから社長はずっと応援してくださり、どうやったら売れるんかな、と一緒に考えてくださった。
お世話になりました、と伝えるよりも先に、
「合う、合わんあるかもしれんから、もしものことがあったらいつでも戻ってきてな。」
と言ってくださった。
退路を断つことがけじめや、と思っていただけに、ほんまにありがたい。

上京して、いくつもアルバイトを失敗してきた。
異性の先輩が怖くて3日で辞めたピザ屋、1日でくたびれ果てたティッシュ配り、全然やる気が起きなかったパンケーキ屋さん、恐ろしい先生がいる歯医者、フラフラになった早朝の清掃。
どれも誰かにとってのユートピアで、私にとっての地獄で、働くことは諦めと思ってきた。

カメラ屋でもしこたま失敗してきた。
しょーもない間違いを繰り返したし、言われたことすらできなかったし、備品のカメラを落としたこともあった。
許してくださる本社の方や、はじめにいた店長が諦めずに教えてくださったから、続けられた。
なぜ同じ間違いをするのか、どうすれば効率よく作業できるのか、1から根気よく付き合ってくれた。
人と仕事をするために、教え方まで教えてもらった。
後輩のミスは自分のミス。教え方に穴があれば自分の伝え方が悪い。伝達漏れは人に何も伝わらないと思え。そして伝え方に気をつける。必ず感謝する。店長が実践してくださったことを、店長がいなくなってからも忠犬のように堅く守ってきた。

学校の前日、眠れない子供だった。
翌日のやるべきことをやらなくてはならないが手がつかない。体力がないから、眠い。なにもできていない不安から眠れないスパイラルで体調は常に最悪。
俳優とアルバイトの生活になってからも、安定しない日々が続いていた。

グズグズの体調、何度も迷惑を掛けて、それでも頭を下げ、チャンスをもらえたから続けられた。
仕事にすっかり慣れて、家の延長線くらいリラックスできるようになった頃。
朝は起きられるようになったし、仕事の前日も眠れるようになった。
俳優のことを優先してなお、心穏やかにいられた。
控え目に言って、人生が変わった。

偶然合う水で泳げただけだ。決して私が優秀なわけでも、えらいわけでもない。
澄んだ場所が汚れぬようにせかせか掃除して、みんなで循環させて泳ぎ続けられただけ。
違う海に突き落とされればすぐに尾ビレが千切れ、沈んでしまうかもしれない。
私じゃなくても誰でもできる。だけど紛れもなくこの場所を愛し大切にした私が居た。

「5年いるとどんな気持ちになるんですか?」
と後輩が聞いてきたから、
「ゴーレムみたいになるで」
と答えた。
「じゃあ僕も続けます、小池さんのあとを継ぎます」
じんわり。泣いたりしないさ。

誰かが辞めていくと、ぽっかりと心の穴ができる。
すっと消えられるならこんな思いはしないだろう。
だけど穴があるから忘れずにいられる。
穴が治癒してきても、たまに掘り返して、埋めた宝物をまた取り出すことができる。
そしたらまた、みんなでお菓子を食べよう。

みんなの顔を想像すると、やっぱり泣けてくる。
歳不相応の母性はきっとみんなのせいで生まれた。
みんなのせいで、こんなに苦しい。
だから愛することは怖い、愛せてよかった。

運が良かった、楽しかった、感謝し続けて過ごせる場所でよかった。
こんな私を先輩にしてくれてありがとう。
ここで働けて、幸せでした。

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