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最期の瞬間まで自分らしくが僕らの使命。デビッド・ボウイに学ぶ生き様、死に様

人生最期の瞬間、どんな状況で旅立ちたいかを考えてみてください

僕の希望はこうありたいと思っています。

まず、最後は自宅のベッドで迎えたい。ベッドのそばには愛する妻がいる予定です。

妻は私の容態を心配して、命の消え入りそうな私の顔を覗き込んでいます。しかし、私は命の尽きる3分前に人生で最後のイタヅラを仕掛けようと目論んでいるのです。

それは一旦死んだふりをするというイタヅラ。

妻は“行かないでー”と悲しみの声をあげますが、実は私はまだ死んでいません!

その光景を見てニタリと笑います。彼女は私のイタヅラに気づいて、ツッコミを入れます。我が意を得た私は妻のツッコミを受けてそのまま息を引き取るのです。

彼女はその手には乗らぬと更に突っ込んできますが今度は本当に旅立ってしまったというシナリオです・・・・

どうですか、とても素敵な旅立ち方だとは思いませんか?こんな最期なら、我が人生は幸せであったと満足して旅立てるような気がします。

しかし実はこんなたわいもない事を実現する事は億万長者になるよりも難しい事なのです。

その理由を考えてみましょう。

自宅で最期を迎えることのできる人は少ない

まず大前提として、自宅で最期を迎えることができるのかという問題があります。

厚生労働省が行った意識調査では、約55%の人が最期を迎える場所として、できれば自宅が良いと回答しています。

しかし、実際に自宅で最後を迎えることのできる人は約14%、75%の方が病院で最期を迎えることになるというのが実態のようです。

多くの場合、闘病生活を送り、最後は医療機関の助けがなければ生きながらえない状態になっているからだと想像できます。

ところで、運よく自宅で最期を迎えることができたとしても、理想のシチュエーションを展開するにはいくつものハードルがあります。

1.果たして、自分の死ぬタイミングがわかるのか?
2.そのタイミングに運良く妻が側にいてくれるか?
3.そもそも既に妻に逃げられた!或は先立たれれたという心配はないか
4.ジャストタイミングで妻がツッコミを入れない(ボケている)
5.何よりも、自分がボケていて、ボケを実行できない

いろいろな事が考えられます

理想的な最期は、死ぬ間際まで健康で、頭もしっかりしていることが条件です。そなな人はほとんどいないということです。

死に様まで理想的だったデビッド・ボウイ

2016年1月10日、英国が生んだ世界的なロックスターデビッド・ボウイ氏が69年の生涯を閉じました。死因は肝臓がん。

1年半の闘病をしながら、その事実を隠して、新アルバムの創作活動は続けられていた。亡くなる2日前に氏の最期のアルバム『☆』(ブラックスター)をリリースしている。

この日、ニューアルバムのプロモ・セッションとして何枚かの写真が撮られているが、黒いスーツに身を包んだボウイは陽気で、そしてやはりダンディである。

この写真が、生前最期の写真となるのだが、亡くなる2日前とは思えないイキイキとしたボウイがそこにいる。この日は彼の69回目の誕生日でもあった。

最後は、自宅で家族に見守られながら旅立ったそうだ。

とことんカッコ良い人だと思う。

どう死ぬかは生き様である

寿命は延びても肝心なのは健康寿命です。

男性は82歳、女性は88歳が日本の平均寿ですが健康寿命の平均はその10年前に終わります、つまり死ぬ前の10年間は死に向かって病気と戦う日々が続く人が多い。

できることなら、最後まで自分らしく自分のままで生き、そして逝きたいものです。最期の最期まで創作活動を続け、最高のスマイルを残し、愛する人に見守られながら旅立ったボウイのように!

でも69歳はちょっと早いかな。

みなさん、素敵な60代を楽しみましょう!


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