うつ道中記~我はヒト!人間なんだよ!

飽きたのと面倒なのと寒暖差がキツくてすっかり遠ざかっていましたが、
うつ病日記の続きです。今回は療養50~70日頃の話です。


44日目にパサっと来た死にたい現象は、なんとか落ち着いた。
それにしても周囲のなんと勝手なことか!
人が死にたくなってるというのに自分らの都合ばかり言ってくる。
なんだか虚しくなって悶々としつつも、

「今死んだら死に損だ!どうせなら散々好きなことやってからにしよう」
と思った。

怒りは、時に生きるモチベーションにもなるのだ。


その後、小波や中波がありつつもなんとか療養生活を続けていたところ、
職場から電話。
上司が主治医に面会したいらしい。なんでもそれが当社の決まりなんだと。

主治医に用件を聞かれたが私もわからない。一体なんの話をするのか?
とりあえず受診日に同伴してもらうことになった。


当日は、ちょうど70日目。
とにかく嫌だ。ほんと嫌だ、マジで嫌だ、イヤだ、イヤだ!

通院途中でもうしんどい。吐きそうだし。
頭はもわーっと思考停止状態。
待合室に現れた上司らに無言で頭を下げるが、すでにもうヤバい。


先にひとりで診察室に入る。
「ヤバいです、もうムリ、あたまの中まっしろ」
いつもは厳しい主治医がめずらしく励ましてくれているが、声が遠い。
「何の用だか知らんが入ってもらうか」


形通りの挨拶後主治医が間髪入れずに「ご用件は?」
空気は一瞬で凍ったが、私はもう思考停止状態だ、知らん。
いつもの私なら、何か気の利いた一言でも投入する場面だが。


上司は事務的に復帰のスケジュールを説明し始めた。
私の容体など一切たずねることもなく、診断書がいつまでに必要で
その後リハビリの出勤がいついつからで云々、と一気にまくし立てている。


私はどうも心配されてなかったらしい。

迷惑かけているものの心配もかけているのでは?と思い上がっていた。
他のメンバーにまわせない面倒な仕事はたいてい私が担当していた。
相当な負担だったがそれに対しての評価はされているはずだった。

しかし今聞こえてくるのは、とにかくいつ復帰するのか?それだけだった。


「復帰は体調が改善してから決める、復帰日からの逆算で考えないで」
いつもに増して厳しい口調の主治医とそれでもあれこれ言ってくる上司の
やりとりにどんどん気が遠のいていく。

すぐ目の前で起こっていることなのに、
まるで違う次元で起こっているかのようだった。


それにしても私って「ヒト」じゃなかったっけ?人だよ、人だよね?
人間ですよね?


今の話だと、
この作業車いつ修理終わりますか?それで納車いつになりますか?
納車後は規定の試運転期間があって、いついつまでに試運転終えないと
作業に使えないんですよねえ
ってことか?


「なんだ、なんだよ!どういうことだよ!」
気が遠のきながらも悔しかった。
それなのに、その時の私は、
椅子から落ちないように必死で一点をみつめることしかできなかった。


主治医の毅然とした態度に憮然とした上司らが診察室を出て行った後、
私は完全に撃沈した。



かつての私はどんなときだって誰よりも冷静だった。
今日だって冷静に話を聞いてやろうじゃないか、そう思っていたのに。

それなのに話はあまり聞けないし、内容はよくわからなかったし、
断片的に聞いたことはひどくショックだった。

全然ダメじゃん。かっこ悪いしショック過ぎるよ。


結局、私は面倒な作業に便利な作業車だったのか。
それだけだったのか。

わりと、いや相当気遣いはしてきたつもりだったし、
それを理解されていると思っていたのは、ただの勘違いだったのか。
社にある作業車のうちの一台に過ぎなかったのか。


私は、今までどれだけ自分を高く見積もってきたのだろう?
みっともないよ、バカだな自分。



診察後、私は相当の撃沈っぷりだったらしい。
めずらしく帰宅を心配されつつ帰った。


この日唯一救いだったのは、帰りに買ったあんぱんが予想以上に
おいしかったこと。それだけでもよかったってことにしよう。



と締めくくられていました。
今となっては、まあ、社会とはこういうもの とも言えますけど。

過去に戻りたい、とは一切思わないタチですが、
もし、この時に戻るとしたら

「私、ヒトですよね?間違いないですよね?
人のことなんだと思ってんだよ!!!!!」

すくっと椅子から立ち上がってデカイ声で叫ぼうと思います。


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