問いへの答えを探して

住宅系情報誌の編集として、5年半。同テーマのweb会社に移って、コンテンツ担当として1年。決して短くない期間、「編集」の仕事をしてきた。けれどずっと、どこか自信が持てなかった。

「自分は本当に、“編集者”と呼ばれるに足る人間なのか?」

もう1つ、ずっと抱えているモヤモヤがあった。編集や企画職といえば、昼も夜もなく企画にすべてを投じて邁進しつづけるイメージ。一方の自分は、子ども2人育児中の時短勤務。

「子どもを育てながら、“一流の何か”を生み出すことはできるのか?」

問いへの答えは見つからずとも、何かしら、ヒントが見つかるかもしれない。それが受講のきっかけだった。長男の小学校入学直前の、比較的落ち着いているこの半年は、最良にして最後のタイミングにも思えた。

後期からの受講だったため、私自身の1回目のゲスト回は東浩紀さんだった。課題は「年表をつくれ」。最初は、漠然と自分の好きなもの、「ビール」とか「マンガ」でつくろうかとも考えた。が、すぐにやめた。浅い知識でつくったものなど、すぐに見抜かれる。他の受講生ともカブるリスクがある。自分にしかできないテーマで、かつ、ゲストの東さんにもひっかかりを持ってもらえるもの。ヒントを求めて、東さんの著作や過去のインタビュー、対談をあたっていき、結果、「子育て」テーマに行き着いた。

プレゼン資料づくりは時間との戦いだった。通勤時間の20分と昼休みの1時間をインプットのあて、土日の夜3時間で仕上げなくてはならない。当然終わらず、夫に子どもを連れ出してもらい、時間をつくりだした。

とにかく引き出しが足りなかったので、昼休みの30分を利用して、職場近くの図書館に通った。例え滞在時間15分でも、机で頭を抱えているより、得られるものは多かった。

何とか仕上げたプレゼン資料。「育児書の変遷」の年表。発表の機会を得ることができ、東さんには、「これは、世の中的に意義のある年表」と言ってもらえ、ゲスト賞は逃したものの、問題意識を共有できた思いもあり、本当に嬉しかった。

その後も、何度か発表の機会を得ることができた。が、初回ほどの手応えを得るプレゼンはできなかった。慣れと共に、私自身の「覚悟」が弱くなってしまったのかもしれないし、周りのレベルがどんどん上がっていったからかもしれない。塾の課題と自分がもっている「課題感」が、ぴったりと一致したのが初回だった、ということもあると思う。でも、初回の自分を超えられなかったのは、本当に悔しい。「もう一捻りが何故できなかったのか」「あの時点でもう1歩踏み込んでいれば、いいアイデアになったかも」…今でも思い出しては胸が締め付けられるほど悔しい。でも一方で、このときの悔しさが、気を抜くと易きに流れそうになる自分にとって、碇となっているとも感じる。

最後に、冒頭の問いへの答えを。

「自分は本当に、“編集者”と呼ばれるに足る人間なのか?」

→YES

 ただし、菅付さんがお話されていた「特別な人になるための特別な努力」をし続ける限りは、という条件つき。

「子どもを育てながら、“一流の何か”を生み出すことはできるのか?」

→YES

 ただし、セルフコンディションに気を配り、戦略的に進めていけるならば、という条件つき。

この半年は、他のプロフィールを一切排除した、剥き出しの自分で戦えた本当に貴重な場でした。菅付さん、ゲストのみなさま、受講生のみなさま、本当にありがとうございました。

豊田

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?