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日本でキャッシュが愛されるわけ ー後編ー

前編で書いたように、日本ではキャッシュレス化が中々進んでおらず、相手と直接やり取りの減るキャッシュレスは、むしろ「不透明」で不安だと感じる日本人は、まだまだ多い。
では、キャッシュレス化が進んでいない日本は、遅れているのだろうか?

暗号通貨の取引額は日本が世界一

クレジットカードなどの浸透率は先進国の中でもかなり低い日本。ただ、去年のデータによるとビットコイン取引に最も利用された法定通貨は日本円だった。(https://bittimes.net/news/41726.html)取引に参加したのが全員日本人では無かったにしろ、取引に使われた通貨で最も多かったのがドルやユーロではなく日本円だったことを、キャッシュレスを好まない国民性にどう繋がるかも考えてみた。

暗号通貨とクレジットカードの大きな違いは、情報や財産の流れ方だ。もちろんセキュリティーや取引の仕方などもそれぞれ違うが、根本的な思想や上層概念の違いが伝わってくるのは情報や通貨の流れが中心を通さず、個人同士で取引が成立しているところだと思う。この違いが理解でき、その違いが大切だと理解している日本人は多いということに思える。オンラインでのミーティングより物理的なミーティングをまだまだ好む日本人。間にシステムや仲介が入る事によって失うものについて、ものすごく敏感だ。

超集約型社会

では、ベルリンや日本とは真逆で集約的決済システムが圧倒的に選ばれているのはどこだろうか。今の中国の多くの都市ではものすごくキャッシュレスが進んでいる。もちろん人口減少問題についての対処方法としても捉えられるが、それらの決済システムには社会の思想そのものが反映されているように思える。

今の中国で流行っている決算システムは集約型のシステムがほとんどだ。全ての情報が「中心」で一回処理される。お金の流れもそうなる。これは、近年の中国の成長モデルに沿っているわけで、逆に日本よりもものすごく進んだ情報集約システムがそこにある。今の中国に分散型システムを導入するのは至難の技だ。ただ、超集約モデルの一番大きな問題は、その情報を集約している組織が、消費者の「信用スコア」を管理してしまっていることだと思う。売り手と買い手が信頼関係を築く事は徐々に減り、「中心」が代行して信用度を計算してくれるが、その計算はもちろん完璧ではないし、心配なのは、誰かの都合により意図的に操れることになる。

分散型社会は細かい情報が重要

日本でも銀行口座を持てない人は沢山いる。そう言った人々の多くは好んでそうなっている訳ではない。銀行口座がないとクレジットカードや暗号通貨、そのほかの決済システムに参加できなくなる。ただ、日本のような比較的分散型社会では、現金のみで暮らせていける仕組みがある。中国で銀行口座を持たない生活ははなかなか難しくなりそうだ。

代引きというシステムがここまで機能している国を日本以外に私は知らない。銀行口座を持っていなくても、クレジットカードを持っていなくても、日本中どこでもだいたい翌日、又は翌々日までには必要としている商品が手元に届く。

日本のような分散型社会でキャッシュレスがあまり必要とされないのは、細かい情報を大切にする文化が根強くあるからだ。現在でも日本人は細かい情報を頼りにして信頼関係を築くことができている。そうなると、中心に「信用」を計算してもらったり、決済を保証してもらわなくても安心して暮らせる。

私ももちろんキャッシュレスのファンではあるが、全てをキャッシュレスにする必要性を感じてはいない。丁度良いキャッシュレスとキャッシュの混ざり具合はそれぞれが選べば良い。ただ、人や物の信用度を個人が判断できなくなった社会はつまらないし、誰も望んでいないと思う。

キャッシュレス化が中々進まない日本は遅れているどころか、もしかしたら進んでいるのかもしれない。「集約化されなくても機能する社会」を維持させていく知恵をつけたということ、それが日本が生んだイノベーションなのかもしれない。

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