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第4話:競馬マンガの歴史

日本の競馬マンガの始まりは日本近代マンガの始まりでもあった。

我が国で日本近代漫画の祖と呼ばれる北沢楽天(1876-1955)が競馬の諷刺画を時事新報社(1899年に福沢諭吉が創設)で執筆し始めたのは1900年ごろだった。

1902年から時事新報にマンガ欄が登場し、後に時事新報のマンガ欄は日曜付録の『時事漫画』へと発展した。

そして1905年に日本初のカラーマンガ雑誌『東京パック』が創刊された。

全ページカラーといった画期的なデザインで社会を風刺した内容は非常に人気を呼び、その後、たくさん発行される風刺漫画雑誌の契機となった。

この中では戦前における軍馬育成時代の競馬社会の模様が多く描かれた。

無論、政局や世相を表したものであったからこの中に描かれる馬のイメージは悪く、時には虐待される馬の絵も数多く描かれた。

政界のサラブレッド、ダークホース(穴馬)、出馬など聞いたことがある読者も多いことだろう(ちなみにデッドヒートハンディキャップも競馬に由来)。

戦前の競馬は社交の競馬から、軍事の競馬、さらに財源としての意味が付与されていったまさに日本の政治文化史そのものだった。

また、北沢の登場以前にも赤絵、浮世絵(日本人の手による)、海外向けのイラスト集(『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』)、諷刺画(『団団珍聞』、『トバエ』)は数多く描かれた。

実際のところマンガが世相を表したのではなく、世相がマンガ社会を突き動かす原動力となったのである。

その中のひとつに競馬マンガがあった。

たいして戦後における競馬マンガの方はどうか。

1959年以降、現在も続く週刊少年漫画雑誌が相次いで創刊された。

前述した『少年マガジン』(3月26日発行)、『少年サンデー』(4月5日発行)を皮切りに、1960年代後半には、『少年ジャンプ』、『少年チャンピオン』など、多くの漫画雑誌が発売された。

同時期には『俺の太陽』(つのだじろう、サンデー掲載)、『馬子っこきん太』(永井豪、まんが王掲載)などが登場した。

しかし、1960、70年代における馬のイメージは戦前に比べれば少しユニークになったものの馬のイメージは普通(若干見た目が悪い)だった。

また、「おれ」や「きん太」と主人公が馬ではなく、人間側にあった。

このように1990年代以前は馬や競馬を題材にしたマンガは多くはなかったが、平成の時代を迎えるとこれが一変し、人気作品も登場するようになった。

とりわけ『みどりのマキバオー』(つの丸、ジャンプ連載)の登場は現代競馬マンガの世界に金字塔を打ちたてた。

追記)

漫画とマンガは結構テキトーに使い分けている(笑)

(2022.11.18)


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