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第13話:アイドルの多様化①

女性アイドルについて真剣に書こうと思ったら、シャーペンの芯が折れた。

チーン!(心が折れた音)

そう言えば、私はこの分野についてあまり詳しくなかった。

調べるのも面倒だから、私が調べなくとも知っている人たちを中心に書いていく(ことにする)。

逆に言えば、私でも知っているくらい有名だったということだ。

どうしよう。

美空ひばりの「東京キッド」、並木路子の「りんごの唄」、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」は歌謡曲になるだろう。

吉永小百合は女優のイメージがあるからその領域は除外することに。

テレサ・テンは歌謡曲になる。

(たぶん)間違いも多くあることだろう。

その場合は「つぐない」。

ひとまず「時の流れに身をまかせ」徒然なるままに記述していくこととする。

花の中三トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみによる「三人娘」に着想を得て生まれた、3人の中学三年生(1973年)のことを指す。

おっと、いきなり困った。

美空ひばりは「アイドル」ということが判明された。

(すみません。この辺りは調べました。)

ああー「川の流れのようにー」(作詞:秋元康)と書こうと思ったのに・・・

いきなりつまずいた。

(ルーラーシップの有馬記念)

(ゴールドシップの宝塚記念)

(古くはラガーレグルスの皐月賞ほか)

秋元先生、こんな時代にも活躍していたんですか?たかみなは驚きました!

ハイ、私も高橋です。

「いい日旅立ち」とはなかなか上手くいかないものですね。

さてさて。

キャンディーズ(伊藤蘭、藤村美樹、田中好子の3人組)

今ではランちゃんは相棒の水谷豊さんの奥様といったイメージ。

亡くなられたスーちゃんはドラマ・家なき子でも好演していたイメージ。

ミキちゃんはたいへん健康的なイメージです。

私は真赤なりんごを頬ばる「年下の男の子」です。

活躍期は1973年から1978年。

花中と被る。

そのとき名探偵ピカチュウは思った。

ソロもトリオもおったんや!

では、ピンクレディー(ミーとケイの2人組)はどうか。

こちらは1976年にデビューした。

ちなみに私は「サウスポー」ではありませんが、カップ麺の「UFO」は大好きです。

銭形(幸一)警部と「ペッパー警部」は日本の二大警部。

ルパン三世と当時の日本男性を「ウォンテッド(指名手配)」

わらべ(高部知子、倉沢淳美、高橋真美の3人組)

バラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日)で誕生した企画ユニットである。

もしも明日が休日ならば、

あなたの今日はだいたい金曜日になる。

花金(欠)なり(飲んだくれたりする)。

この頃は土曜日も学校(「めだかの兄妹」)であった。

突然、色々な植木等の曲が私の頭の中を通り過ぎた(気がする)。

このユニットは1982年から1985年まで活躍した。

やっぱり2、3人グループが多い。

いや、そんなことはなかった(笑)。

いよいよ、(松本)伊代の登場か!

まだ13話です・・・

(早見優・松本伊代・森口博子などについては)

松田聖子と中森明菜

聖子ちゃんは花中の山口百恵がマイクを置いた年の1980年にデビューした。

1980年代を代表するアイドルであった。

とはいえ、1990年代にも「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」(40枚目、1996年)が大ヒットしたので、

アップルミュージックにおける人気曲ランキングではこの曲が頂点に立っている。

私は13枚目の「天国のキッス」が一番好きなのだが、あの白い衣装と風船のインパクトは紛れもなく一時代を築いていた証であった。

それは後に秋元グループの「ゆうゆ(岩井由紀子、おニャン子から派生した二人組グループ『うしろゆびさされ組』所属」(後述)に引き継がれ、

またその血統は小倉唯(声優、「ウマ娘」のマンハッタンカフェ役)につながった・・・笑

一方、中森明菜は松田聖子よりも若く、遅れて1982年にデビューした。

1980年代のアイドルとしては松田聖子と2強を競った。

競馬に例えるなら「ウオッカ」と「ダイワスカーレット」といった感じか。

「セイコチャン」と「ナカモリアキーナ」の対決は私も観たかった。

カレンチャン(競走馬、ウマ娘)の現役時代を私はよく知っておりますが(笑)

アキーナはセイコチャンよりアーティストというイメージであった。

例えば、「DESIRE -情熱-」の衣装、演出も自分で考えたそうだ。

他にもヒット曲が多数あり、なんとあの「日本レコード大賞」を2回受賞している。

その点ではダイワスカーレットよりはウオッカ的なのかもしれない。

後者は年度代表馬と顕彰馬となった。

(近藤真彦との一件については、略)

(ゆうゆと中山秀征の件も略、笑)

総じて見ると、

1970年代はソロ、2、3人組と彩り豊か。

1980年代はソロが優勢だった。

その牙城を大外から崩しに来たのが、「おニャン子クラブ」という素人集団「ネコ娘」たち(秋元康作)であった。

1985年にテレビ番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)から誕生した女性アイドルグループ。

まずメンバーの名前を覚えるのが大変だった(と思われる)・・・笑

このグループの売り出しは「とんねるず」、「ハイスクール奇面組」の活用などバラエティ色が強かった。

それは欽ちゃんの番組やドリフの大爆笑(ドリフターズ)、オレたちひょうきん族などとは異なっていた。

(後にこの系譜から志村けん、ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、山田邦子などが独立した)

西のダウンタウン、東のウッチャンナンチャンの前の時代の話である。

将棋に例えるなら、西の村山聖、東の羽生善治(いわゆるチャイルドブランド世代)より前。

書いていたら少し長くなってしまったので、おニャン子以降と回を分けることにした(笑)


追記)

日本アイドル史がマンハッタンカフェ(CV.小倉唯)までつながる恐ろしさ。

奇跡の血統(4✕3のクロス、奇跡の血量)なり。
 
トップ画像はマンハッタンカフェ(ウマ娘)と唯ちゃんで迷いましたが、
 
りんごの話が沢山出てきたので、これで(笑)
 
マキバオーの大好物もりんごなり。
 
お馬のひんべえの大好物はバナナなり。
 
カフェは何だっけ?
 
いのりん(水瀬いのり)とスタバの新作カフェを飲んでいるイメージだ。

なお、後に「あなたに逢いたくて」は氷上恭子と丹下桜の人気声優ユニットによってカバーされた。

ほぇ〜(笑)

知る人ぞ知る!


参考資料:

トップ画像は小倉唯『ホップ・ステップ・アップル』より

(編集中)

(2022.12.16)

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