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小説「ヘブンズトリップ」_17話

 「おい」
 聞こえないくらいの声で史彦はつぶやく。小さなつぶやきでも前に進む意思が感じ取れた。
生い茂る草の中にほっそりと一本の道が階段状に続いている。先は見えない。
 一歩、また一歩と進むにつれて、高さをつけた植物が、葉を伝って雨水を顔に飛ばしてくる。
 早足の史彦に置いていかれないように俺も歩幅を大きくして右足を踏み出す。
 
 おかしくて不可解な光景。自分の目を疑い、声を失った・・・。
 道から横につ続いた傾斜にみすぼらしい小屋がある。
 プレハブ材をつなぎ合わせただけのような屋根で雨風をしのいでいるよで、ひからびて変色した座布団や毛布が積まれて隙間を埋めている。
 恐怖心を募らせながら、声を殺してその建物に近づく。 
 
 静寂の中に何か音がする。
 人の声だ。
 信じられないが、この不可解な建物から人の声がする。
 
 まずい。史彦はどんどん歩を進めていく。
 俺は仕方なく、史彦の服を引っ張った。
 「なあ、ヤバそうな感じがする」
 俺は無理やり史彦の動きを封じた。
 「わかってる。ちょっと見るだけだ」
 わかってない・・・。たぶん。
 面積の小さい薄く垂れさがった一枚の布の向こうに誰かがいる・・・・。
 恐る恐るに布に手をかけて、ゆっくりとめくり上げる。
 俺はその様子を後ろから見ているだけだった
 人間の声が聞こえてきた時点で、この場所は普通じゃないと俺は悟った。
 未知の領域に率先して足を踏みいれる史彦の勇敢さは尊敬に値する。
 
 史彦は何も言葉を発しなかった。
 微動だにしない史彦の体は確実に何かを捉えたようだった。
 吸いこまれるように自分の顔を近づけた。

 ゆっくりと・・・ゆっくりと・・・。

 中は明るかった。しかし、電気による明かりではなかった。
 オレンジ色のような暖かみのある明かりは、壁に取りつけられた燭台のローソクにによるものだった。床の木目が見えないほどに毛布や座布団がぎっしりと敷き詰められていた。
 
 史彦ももう気づいている。
 俺も気がついた。
 ひとが二人、背中を向けて正座している。そのうちひとりは後ろ髪が全て白髪で老人のような姿だった。
 まだ、俺たちには気づいていない。
 顔を下に向けて何かブツブツ喋っている。
 それは会話をしているのではなく、正面に置かれた不気味な銅像に祈っていりのだった。
 
 銅像は光沢が剥げ落ちた女性の顔をしている。
 顔面が汚れていて、それはひどく醜い表情だった。

 俺にはもう、理解できなかった。

 やがて、二人は立ち上がり大きな声を出して、奇妙な言葉を唱えはじめた。
 聞いたことのない言葉を交ぜ合わせたお経のようなものだった。
 「呪縛からの開放だ」 
 彼らは最後に頭を上げて、確かにそう言った。
 何のことだかわからない。
 引き返したほうがいい。俺はそう感じた。
 今なら音を立てずに逃げ出すことができる。
 
 自分の心音が聞こえていた。 
 現在のこの状況を絶対に危険だと知らせていた。俺の後頭部を殴りつけたふたりに睨まれた時も同じ危機感を感じた。
 早く離れなきゃ・・・。
 けど、史彦は小屋の中の人間を凝視したまま動こうとしない。
 
 引き返すことを伝えるために俺は前のめりの体制の史彦の腕をつかんで、意思を伝えようとした。
 突然、靴で土を踏み鳴らす音のようなものが、かすかに耳に届いた。
 まちがいなく、自分と史彦からの音ではないことは確かだった。 

 呼吸が止まった。脈も、心臓も、凍りついてしまった。
後ろを振り返った。
 しゃがみこんだ頭上には信じがたい光景が広がっていた。

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