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心の折り合いをつける私〜親が亡くなった後の心の変化

NHKの美空ひばりの番組をみて、AIが復活させた新曲を歌う姿と歌詞に泣いてしまった。

身近な人が亡くなった時、他の人はどうやって折り合いをつけて、生活し、生きているのだろう。ニュースでは、沢山の人が亡くなった話が流れているけど、未熟な私の場合を記しておこうと思う。

人生での大きな支えを失った時、私は理解できなかった。既に大人と呼ばれ随分経っていたけど、怖かった。

かろうじて意識のあった母に泣きながら「お母さん、お母さん、怖いよ!どうしよう?」と聞いてしまうほど、動揺し恐ろしかった。
母が亡くなっても、直後でも私たち姉妹は笑っていたと思う。母がそこにいないだけで、やることを話し合い、度々母にしてやれなかった事を後悔し、共に泣きながらも、時に思い出に笑いながら、やることを淡々とこなした。私達は、大丈夫だと思ったのだ。

それから、しばらくしてだろうか。日々生活していく中で、深い悲しみから、強烈な怒りに母を想う気持ちが変わってしまった。

母より年長者が元気でいる姿を見ると、悔しくてたまらなかった。実家の親の文句を言う若者が許せなかった。スーパーの売り場で、がん予防と書いてある商品をただ黙って睨みつけ、涙を流し、立ち去れない時間が幾度もあった。「どうして?どうして?どうして?」と疑問がいつも頭の中にあった。母親が亡くなったのに、笑っている自分が許せず、生きている自分さえ苦しかった。

姉妹も似たような感じだったらしく、末の妹は夢に母が出てきてくれたけど、「今まで何してたの!!!みんなどんだけ心配したと思ってるのよ!!」「大変だったんだからね!」と母を怒鳴りつけてしまったそうだ。

何年続いただろうか…三年ぐらいだったか。
頻度は少しずつ減っていったが、湧き上がる怒りの感情を日々の生活の中ひた隠し、みんなと同じように生きるのが辛かった。なぜなら、みんな私の両親より長生きしている親がいるから。

自分勝手な八つ当たりだと重々承知していた。私以上に辛い親との別れを経験した人はたくさんいる事も、死に目に立ち会えただけでも幸せであった事、頭では分かっていた。なのに家に帰り、母の遺骨に手を乗せると、悔しくて、悲しくて、立っていられないほどの胸からこみ上げてくる怒りが嗚咽と涙で溢れ出た。

私だけが可哀想ではないし、自分に酔ってはダメだと、心を奮い立たせ、また立ち上がり夕飯を作り、口に運ぶ。という日々が続いたと思う。

また、その頃よく夢に見たのが崖の上に立ち、あと一歩、あと一歩前に足を出せば、死ぬのだろう。生きると死ぬは、ほんの僅かな意識の差なのだと感じる夢だった。

けれども、人は強い。

今でも、どうして?という解せない気持ちはもちろんあるし、今日のように美空ひばりに泣かされることもある。時間が経つにつれ泣く頻度も減っていった。ある日突然立ち直ることはなかったけれど、玉ねぎの薄皮を剥がすように少しずつ少しずつ…治癒していった。


そして、世の中の人達が身近な人を亡くしても、やはり他人には何事もなったように振る舞い強く生きている事を知った。

こうやって書いていると、私はなんて自分勝手で、子供じみており、スーパーの売り場で泣くなど迷惑千万ではないか!と恥ずかしく思う。

けれども、大丈夫。こんな私でも心の折り合いをつけて、今では幸せそうな顔して買い物をしているのだ。

人は強いのだ。
強い心を育ててくれた母に感謝。


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